眼鏡堂書店

積み上げられた未読本の消化と、ホラー映画100本ノックを目指すブログ。不定期更新のゆるゆるです。

ゼーロン・淡雪/牧野信一

ゼーロン・淡雪 他十一篇 (岩波文庫)

ゼーロン・淡雪 他十一篇 (岩波文庫)

 

大正期から昭和初期にかけて活動した作家、牧野信一の作品をほぼ網羅した作品集です。私小説的な世界に古代ギリシャ的なイメージを重ね合わせた独特の幻想的な作品群が網羅されています。

 

少々古い話になりますが、2015年のセンター試験において現代国語の問題に牧野信一作品が取り上げられました。「スピン、スピン」に代表される独特なオトマノペに加え、メタ的な構造をもつ幻想作品『地球儀』が出題され、受験生を総じてどん底に陥れたことで話題をかっさらったのでした。……まあ、今となっては遠い昔の話ですが(遠い目)

 

それはさておき。

 

最初に書いたことと重複しますが、牧野信一文学史における位置づけは”私小説作家”。

たしかに、わずか17年の作家生活で残した作品(すべて短編)には総じて自身の生活や、過ごした小田原が反映されています。その意味では私小説作家であるといえます。

ただ、この”私小説作家”というのがクセモノで、文学史においての私小説作家(中学校や工高校における国語教育においての私小説作家、というともっと乖離具合がイメージしやすいかも)というと、破滅的生活=私小説作家。

同時期の作家をあげると、葛西善三や嘉村礒多、あるいは時期はずれるけれど同じ小田原に関連する作家として川崎長太郎であるとか。現在の作家だと文句なしに西村賢太です。さて、これら作家の特徴として過度に荒れた生活を露悪的なまでに余すことなく書き綴ることによって生まれるアイロニー的なおかしみがあり、それが読み手には「どうしようもなくて嫌悪感すらあるのに読まされてしまう」という魅力として映ります。

事実、最晩年の牧野作品にそういった露悪的かつ悲壮的な私小説要素がみられることは事実ですが、そういった最晩年の一面だけでその作家の全体像を決定づけるのはどうかと思うのです。

こういうところに牧野信一という作家の悲しいところがあります。

作家も人間である以上、そのキャリアの中で作風が変化していきます。例えば、谷崎潤一郎のように前期・中期・後期で作風や題材が変化し、その結果としてその全体を総括したうえで”谷崎潤一郎とは〇〇な作家である”という形容に至ります。

たしかに谷崎潤一郎文学史において足跡をなした作家であり、かつ長生きもしたのでそのキャリアを総括したうえで語られるべき作家だと、眼鏡堂に限らず世の人々は思うはずです。

でも、一方の牧野信一はというと若くして死んだ上に、作品は全部短編、そして極めつけとしてはやはり文学史に足跡を残した作家でもなければ、(少なくとも学校教育の現場においては)特に語るべきところもなく大して重要な作家でもない、という悲しい現実があります。なので「まあ、一番最後の作品にソイツの作風が出てんじゃね?」という投げやりなレッテル張りでもって現在に至っているのではなかろうか?と眼鏡堂は思うのです。

事実、眼鏡堂以外にもそう思った人がおり、それが三島由紀夫

彼は日本文学全集を編む際に、この牧野の不遇を憂い、かつ彼の作品の再評価を問うべく、内田百閒、稲垣足穂と合わせ、一冊にまとめたのでした。えらいぞ、三島由紀夫

でも、内田百閒、稲垣足穂が再評価でもって広く知られるようになったにも関わらず、牧野信一は置いてきぼり。まるで、84年のスーパーロックフェスティバルにおけるアンヴィルかよ!

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とはいえ、牧野信一推しの有名人は三島由紀夫にとどまらず、石川淳島尾敏雄吉行淳之介安岡章太郎種村季弘池内紀らという錚々たる面々が牧野文学を愛し、その再評価を行っています。……まあ、こうして挙げた錚々たる面々の皆様も、池内紀を除いて全員が鬼籍に入ったわけで。

 

などという長々とした前段はさておき。

眼鏡堂はこの牧野信一という作家の作品群がとても大好きなのです。

私小説を基本としながらも、境目があいまいなまま夢と現実が交錯して溶け合っていくところとか、あと、前段でも書いた独特なオトマノペの使い方、そしてとくに評価の高い中期作品に多々見られる古代ギリシャや中世ヨーロッパの文学作品や神話からの引用・換骨奪胎がすごく好みにフィットするのです。

私小説、というもの自体は眼鏡堂はあまり好きではありません。

作家=作品というとらえ方に疑問を持っていて、あくまでも作家と作品は別人格としてとらえるべきものであると考えているからです。もっとも、作家の内面的なもの、あるいは思想的なものや感覚、などが作品に反映されることを否定するものではありません。

それはともかくとして、作家=作品という私小説は非常に苦手で、食わず嫌いはいけないなと思った時期に西村賢太作品を何冊か集中的に読んだ時期がありましたが、結果的に「やっぱりこういう破滅的で露悪的な私小説は苦手だな」という当初的な結論に至っただけでした。

それに比べると、牧野信一は確かに私小説でありながらも非常にカラッとしていて軽妙なところが、読んでいて私小説的な閉塞感や重苦しさを感じない理由かもしれません。

確かに悲劇的ではあるけれども、そこにデフォルメされた滑稽なおかしみが感じられるというか。

『吊籠と月光』『ゼーロン』『鬼涙村』『酒盗人』などが好きです。

特に『酒盗人』の滑稽なおかしみとかわいらしさが印象に残りました。

そもそもの作品数が少ない作家であり、そのすべてが短編という、ある意味で全く知らない人にとっては最もハードルの低い作家であるといえるかもしれません。気軽に手にとれて、試しに一作品読んでみることができる、という意味で。併せて、この岩波文庫は牧野作品のほぼすべてが読めるというちょっとびっくりな一冊になっています。

たしかに有名な作家ではないけれども、それは読むに値しないということとイコールではありません。それを踏まえたうえで、たくさんの人たちに手に取って欲しい、読んで欲しい、という希望を込めて今回取り上げたのでした。

……ただ、最大にして唯一の問題は、この岩波文庫ですら書店でまず見かけない、という一点に尽きるのです。以上、おわり。