眼鏡堂書店

積み上げられた未読本の消化と、ホラー映画100本ノックを目指すブログ。不定期更新のゆるゆるです。

カリガリ博士

1920年に制作されたドイツ表現主義サイレント映画

あらすじは、

奇怪なカリガリ博士が眠り男チェザーレを操る殺人事件の数々は、精神病患者の妄想であった。

なんといっても、『カリガリ博士』といえば『ドイツ表現主義』。もう、それこそイコールで結んでもいいくらい。映画史的にもエポックメイキングな作品でもあります。

さて、ドイツ表現主義とは何か?という話になってくるのですが、ざっと説明すると、

客観的表現を排し、内面の主観的表現に主眼をおく表現様式(映画だけでなく、文学や建築、演劇など多岐にわたる)

他の作品では『吸血鬼ノスフェラトゥ』や『メトロポリス』などがあります。また補足として、ドイツ表現主義の対極にあるのがドイツ古典主義。これへの強固な回帰を推し進めたのがナチスドイツであり、ナチスドイツからドイツ表現主義は「退廃芸術」とされ焚書の対象となりました。

 

で。

 

映画におけるドイツ表現主義の特徴としては、

  • 歪んだセット美術
  • 不安感を煽る白塗りやアイメイク
  • アイリス・ショット(しぼり)の多様
  • 極端にディフォルメされた家具デザイン

など。

この一種異様な表現方法は後続の映画監督に大きな影響を与えました。

具体的な名前を挙げると、ティム・バートン、ブライアン・デパルマデビッド・リンチなど。映画以外の分野ではthe cureバウハウスのようなゴスやポジティブ・パンクのメイクや格好に大きな影響を与えています。

繰り返すようですが、本作は1920年に作られ、(現時点で)約100年前の映画ということになります。当然、トーキーではなくサイレントであり、カラーではなくモノクロです。そして何より、強い先入観として「100年前の白黒でサイレントの映画が面白いはずがない」という思い込みがあります。それこそ、自称映画ファンほどその先入観が強く、傑作であり名作、そして映画史におけるエポックメイキングな作品にも関わらず、敬遠されがち。「あれは古い映画だから」というような。

でも、実際は違います。

わずか51分の映画なので、サイレントであることを除けば鑑賞へのハードルは高くありません。これもまた繰り返すようですが、所要時間は3時間くらいある『アベンジャーズ/エンドゲーム』の1/3ですし、映画館でお金を払わなくてもお家のネットで鑑賞できます。著作権がとっくの昔に失効したパブリックドメインなので、違法アップではない正規の形でタダで鑑賞できます。Youtubeで。

しかもこれがまた面白いときたもんだ!

ストーリー的な中身は100年前の映画と同時に、様々な映画評論家だけでなく種村季弘を筆頭にした文学者によっても論じられているのでそこには触れないでおきます。

なので、個人的な感想をつらつらと。

 

頭では、ドイツ表現主義の映画=直交しない不安定なセット、というのを理解してはいたけど、実際見ると、その歪みっぷりからくる不安定感&不安感はハンパないです。よくもまあ、あんなに歪んだセットを作ったもんだと逆に感心。

その効果も抜群で、客観的な正気の部分はきちんとしたセットが作られ、主人公の主観による妄想的な場面ではひたすらこの歪んだセットが登場。最終的にお話は男の妄想であった、と分かったその瞬間に、あの歪み方の意味が分かってくるというのは語らせることなく観客に提示させ、そして考えさせるという部分において非常に効果的。

何しろこの主人公の語りがだんだんと「ちょっとまてよ?」という風にミステリでいうところの『信頼できない語り手』として機能しながら、他方において「本当に信用しなくてもよいのだろうか?」という微妙なラインを常に行ったり来たり。

眼鏡堂が鑑賞しながら連想した作品は、夢野久作の『ドグラマグラ』。 

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

 
ドグラ・マグラ(下) (角川文庫)

ドグラ・マグラ(下) (角川文庫)

 

 これもある意味、すべてが主人公の妄想のようでありながら、他方では狂った現実のようでもあり、現実と妄想の間を行ったり来たりするお話でした。

白黒サイレントの映画にも関わらず、圧倒的な重厚感とぐいぐいと引き込んでくる何かがある映画。そりゃ、多くのエライ人を魅了するわけだ。かといってお高く留まっているわけでもなく。

たまには、こういう古典的な作品を鑑賞するのも悪くないな、と思いました。

……タグをホラー映画にしたけど、ホラーという要素があるか?というと自分でもちょっと疑問。”怪奇映画”と言われればまあぴったりだけれども。以上、終わり。