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眼鏡堂書店

積み上げられた未読本の消化と、ホラー映画100本ノックを目指すブログ。不定期更新のゆるゆるです。

ぼくが猫語を話せるわけ/庄司薫

読書【エッセイ】

ぼくが猫語を話せるわけ (1978年)

『赤頭巾ちゃん気をつけて』 で有名な庄司薫のエッセイ。

読みながら、谷崎潤一郎の『猫と庄造と二人のをんな』を思い出す。

あれも「猫なんて、猫なんて、もう猫なんて!!(;´Д`)ハアハア」という話だったな。

小説家だと谷崎潤一郎ポール・ギャリコ、内田百閒など。

マンガ家だと大島弓子くるねこ大和など。

「猫、超カワイイよ、猫(;´Д`)ハアハア」というやけに熱っぽい愛情表現をしたがるのが、猫好きの特徴(のような気がする)。犬派の人でこういう風に書く人ってちょっと思い浮かばない。

 

犬派から猫派へと鞍替えするのは一種の思想転向。

庄司薫がちょうど学生運動華やかなりしころの世代だからこういう表現を使いたくなる。……まあ、そんなことはどうでもいいのだが。

ともあれ、作者がもともと犬派だからか、犬派からみての猫なんていうのもあったり(あの深沢七郎との対談だ!)、逆に猫派からみての犬なんてのがあったり、この人の本は初めて読んだのだが、ちょっとこれは予想外の大ヒット。

元々はレオナルド・ダ・ピッツィカート・フォン・フェリックスという名前だったのに、回り回った結果、タンクロー(略称はタンク)に落ち着くくだりは、にわかには理解しがたい。全く関係ないが『動物のお医者さん』に登場する”スコシ”の命名を思い出した。

そんなこんなでタンクローとその飼い主(※後に結婚することになるピアニストの中村紘子)との日々が綴られる。

 

作中には”猫の散歩”が登場するのだが、個人的にいろいろ調べてみたらどうもその必要はないらしい。逆に車などからうけるストレスの方が猫によくないのだそうだ。

当時は完全室内飼いが珍しかったから、外の空気を吸わせることや運動不足の解消(このタンクローは平均的なシャム猫の倍の体重があるのだ)が目的だったのだろう。

7.5キロの猫を抱いての散歩か……。それってもうトレーニングだよね。

 

もっとも、”全編猫まみれ”ではなく、エッセイというよりは日々雑記に近い。

同世代の作家、例えば村上龍村上春樹島田雅彦高橋源一郎らとは明らかに違う。

村上春樹のようにスカしておらず、高橋源一郎のように下世話でない。

村上龍のようにむき出しでなければ、島田雅彦のようなイヤミがない。

そこが物足りないと言えば物足りないのだが、いい意味で可もなく不可もなく、毒にも薬にもならないという平均さにほっとする。

 

その雰囲気というのは本の装丁や写真にも表れている。

表紙などで使われている絵は、中村紘子の手によるもので、タンクローの写真は写真家の沢渡朔の撮影。

特に何というほどの本ではないのだけれど、こういうほっとする本も世の中には必要だ。どうも最近、自分の主張をゴリ押ししてくるエッセイが多いので、読んでる間、精神的にリフレッシュしたような感じがする。

 

積ん読消化のつもりで手を付けたけど、もっと近くに置いておくべきだったと反省。

意外な掘り出し物だった。

とはいえ、悲しいかなこの本が庄司薫の最後の作品。

以後、現在まで彼は作品を発表せず沈黙している。