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眼鏡堂書店

積み上げられた未読本の消化と、ホラー映画100本ノックを目指すブログ。不定期更新のゆるゆるです。

優雅で感傷的な日本野球/高橋源一郎

読書【小説】

優雅で感傷的な日本野球 〔新装新版〕 (河出文庫)

 

飯野和好のイラストによるハードカバーも良かったが、今回の新装版の”ファミスタ”(しかも8bit感満載だ)のカバーも素晴らしい。

 

タイトルに野球とあるし、たしかに野球の話ではある。

しかし、野球チームの小説でもなければ、野球のルールに精通している必要もない。

なぜなら、この小説は”野球”という国民的スポーツを軸に、文学における言葉と意味のありかたを突き詰め、日本文学・世界文学を縦横無尽に駆け巡る一種の冒険小説だからだ。

 

既存の枠組みを外側から俯瞰することをポストモダン脱構築)というが、高橋源一郎ほどこのポストモダンにこだわり続ける作家もいないだろう。

ざっと思いつくものを挙げても、『さようなら、ギャングたち』『ゴースト・バスターズ~冒険小説~』『官能小説家』など。

特に『官能小説家』は森鴎外樋口一葉を軸に、過去と未来を交錯させながら”小説って一体なに?”というのを探る物語だった。

余談だけれど、佐藤友哉の『1000の小説とバックベアード』も合わせて読んで欲しい。

1000の小説とバックベアード (新潮文庫)

なぜなら、こちらは”小説を書くってどういうこと?”についての物語だからだ。

 

ともかく、この『優雅で感傷的な日本野球』で語られる野球はスポーツとしての野球ではない。むしろ文学を比喩的に語り変えたものである。この本における野球なるものは、そっくりそのまま”文学”に置き換えられる。当然、野球選手は”文学者”だ。

優雅で感傷的な日本野球』に登場する野球選手は、皆スランプに苦しんでいる。

それは文学者も同じことだ。

書けなくなったらどうしよう。売れなくなったらどうしよう。あるいは、もっと端的に、書けない、売れない。

当の本人にとっては切実な問題だ。

でも、野球というスポーツによってパロディ化されているからこそ、滑稽なギャグとして読める。この辺のさじ加減が高橋作品の面白いところだ。

メタ小説と呼んでいいのかどうかわからないが、実在の人物が沢山登場する。もっとも、その当人のキャラクターではない明らかに別の人物として登場するので、野球ファンは二重の意味で面白いのかもしれない。オイラは野球のルールも知らないので、よく分からないけれど。

 

内輪でしか通じないような表現を大量に盛り込みながら、作品自体は外へ向かっていこうとする奇妙なポップさは、高橋源一郎作品のファンにとってはたまらない感覚だ。

そのうえ、言葉に言葉を重ねて怒涛のように突き進むスピード感は読み手の許容量を越え、読んでいて頭がくらくらしてくる。

 

とにかく、野球というものがとうの昔に滅亡し忘れられた世界の中で語られる野球を巡る物語。全7章からなる物語はそれぞれに独立しているようでもあり、実は結びついているようでもある。最後まで読むと判るのだが、第1章で登場する私は、最終章で登場するある人物とイコールだったりする。もっとも、それすらこの小説の構造を考えると怪しいのだが。

 

パックリと好き嫌いが分かれる気がするが、ホントにこの人の本は特徴的で楽しい。

毎日読むか?と聞かれると、それは勘弁してほしいのだけど。

 

【追記】

高橋源一郎は本作で第1回三島由紀夫賞を受賞。副賞の100万円を手に入れた。

しかし、それを全額日本ダービーにつぎ込み、一瞬で使い果たした。