眼鏡堂書店

積み上げられた未読本の消化と、ホラー映画100本ノックを目指すブログ。不定期更新のゆるゆるです。

ラピスラズリ/山尾悠子

ラピスラズリ (ちくま文庫)

ラピスラズリ (ちくま文庫)

 

積ん読を消化する。

 

購入のきっかけは、とても美しい装丁のハードカバーが印象に残っていたから。

でも、もたもたしているうちに店頭からなくなってしまい、「綺麗な装丁だったなあ」という記憶ばかりが残った。

ある日、ふと本屋に行ったらいつの間にか文庫化。

よっしゃ!!と勢い勇んで買ったはいいが、そのまま棚の奥深くへGO。

んで、現在へ至る。……学習能力がないのか、オイラは。

 

全体を貫くトーンが静かで淡く、そして落ち着いている。色でいうと、モノクロとまではいかないが、柔らかなセピア色といったところ。

ハッキリ言えば、長い話ではない。連作短編といった趣の小説が5編入っていて、だいたい20ページ前後のものがほとんどで、1つだけ140ページほどある。

いずれにせよ、長い話はない。

だが、読んでみるとこれがまた非常に濃い。

内容が濃い、というよりは文章の充実具合という意味での濃さ。

熱っぽさや激しさはないのだが、徹底的に推敲を繰り返して編まれた文章は見事の一言。冬から春先にかけての静かな物語世界に、この濃密な文章がピッタリで、大きな展開がない静かな物語であるにもかかわらず、どんどんと引き込まれていく。

まったく、読んでいてため息ものだ。

手間暇かけて磨き抜かれた文章というのは、読みがいがあるし、うっとりする。

そもそも、こういう本に出会いたくて本屋や図書館をウロウロするのだ。

 

とにかく、文章が徹底的に練られ、磨き抜かれている。 

これだけ労力を費やしている文章というのは、ちょっと最近じゃお目にかかれない。

「推敲しすぎると文章の瑞々しさが失われる」とホザくバカ作家がいるが、それは単純に推敲するのが面倒という言い訳だ。

第一、文章が瑞々しいかどうかは書き手であるオマエではなく、読み手である我々が判断することだ。

一番の勘違いの元は、瑞々しい文章と、雑な文章が同じだと思われているところにある。当たり前だが、それらは全く別のものだ。書いている方はどうだか知らないが、読む方は一発でわかるんだな。これが。 

そんな粗製乱造の作品が氾濫している昨今において、徹底的に煮詰めて磨き抜かれたこの小説の何と愛おしいことか。

冬の間眠り続ける”冬眠者”でありながら、ひとり眠りから目覚めてしまった少女と、「定め」を忘れたゴーストとの出会いを巡るストーリーは、冬という季節のイノセントさと相まって、非常に静謐な印象を与えてくれる。

会話のひとつひとつ、そして文章の一文一文が齟齬を生じることなく、完璧にストーリーと合致しているという奇跡。

 

そのうえ、この小説は非常に絵画的だ。自然にビジュアルが頭に浮かんでくる。

ひとつひとつのセンテンスが短いにもかかわらず、読み手の想像力を柔らかく刺激してくる。微に入り細を穿った文章の何と心地よいことか。

前にも書いているが、とにかく手間暇がかかっていて、徹底的に文章が磨き抜かれている。

くどいようだが、とにかく文章が美しいのだ。

 

一気に読める程度の作品だが、そうしてしまうのが非常にもったいない小説、というのがオイラの印象。

粗製乱造の作品が多い中、こういう傑作が読めるのはそれだけで喜ばしいことだ。

「読んだ甲斐のある小説だった」という感想も、ずいぶん久しぶりだ。

 

山尾悠子という作家は本の絶対数が少ないので、全部の作品を制覇するのは難しくない。といいつつ、最大の障害は、世の中に出回っている絶対数が少ないこと。

ちょっと何とかしてもらいたい。 

 

本当なら、もっといろいろ書きたいのだが、思った以上に読み応えのある小説だったので逆に書く事がない。

大当たりの作品だ。

 

【追記】

冒頭で書いた、ハードカバーがコレ。

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毎度思うのだが、国書刊行会の装丁は抜群だ。

電子書籍が普及しない」と嘆いている出版社は、一度原点に立ち返って考えてみるべきだろう。本というのは、内容だけでなく装丁を含めての本なのだ、ということを。

てか、こんなモンが本屋に置いてあったら買うっつーの!!