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眼鏡堂書店

積み上げられた未読本の消化と、ホラー映画100本ノックを目指すブログ。不定期更新のゆるゆるです。

月下の一群/堀口大學

月下の一群 (講談社文芸文庫)

月下の一群 (講談社文芸文庫)

 

日本現代詩、そのクラシック中のクラシック。本書と上田敏の『海潮音』は二大巨頭。

まあ、海潮音』は持っていないし読んでもいないのだが。

いずれ近いうちに読もうと思います。すみません。

 

それはそうと『月下の一群』。

堀口大學の文章というか文体が大好きで、この人が翻訳している本は無条件で買ってしまう。

例えば、ジャン・ジュネの『花のノートルダム』。

既に新訳が出ているにもかかわらず、そっちを積ん読に回してでも古本屋を巡りに巡ってやっと購入。

新訳が悪いとは言わないが、どうしても堀口訳で読みたいのだ。

同じことが、ボードレールの『悪の華』にも言える。

各出版社から出ているのだが、オイラにとっては新潮社一択だ。

っていうか、読みもしない(というかあまり興味の湧かない)ケッセルの『昼顔』とかコレットの『青い麦』とかもきっちり手元にある。

出版社の術中にハメられている気もするが、少なくともオイラにとって”堀口大學が訳している”というのは最大のアピールポイント。

そのくらい大好きな詩人だ。

その彼が大正14年、33歳の時に上梓したのがこの『月下の一群』。

 

出版社に依頼されたものではない。

彼自身が、父について海外を周る中で自らの手で発見した詩を、自分の楽しみのためだけに翻訳して編んだのがこの本。

元はそういうところからスタートしている。

この「誰に頼まれたわけでもないけど、僕自身が読みたいから本にしてみた」という行為をどう感じるかによって、この『月下の一群』に対する興味が割れるところ。

きっと当時も「なにを無駄な事を」と言われたことだろう。

それでも、この『月下の一群』は堀口のライフワークとして、数知れない改訳と改稿が重ねられた。決定版として最終版の『月下の一群』が完成するのは著者が60歳の時。

 

数多の詩人に影響を与えたとともに、この本はフランス現代詩のベストアルバムだ。

ざっと挙げても、ヴァレリー、アポリネールコクトー、ラディゲ、マリィ・ローランサンボードレールヴェルレーヌマラルメ……。

恐るべきメンツがずらっと並ぶ。まさに決定版中の決定版。

個人的にはアポリネールの『ミラボー橋』が収録されているのがうれしい。シャンソンの名曲ですな。


Viento 3. ミラボー橋 Mirabeau Bridge 日本語英語対訳付 - YouTube

 

彼がフランスに渡ったのが1920年

ちょうどベルエポックの全盛期で、パリが花の都と呼ばれていたあの時代だ。*1そんな時代の空気が、この詩集には満ち溢れている。

前年まで第一次世界大戦が行われていて、20年後のパリはナチスドイツによって占領される。そういった歴史的時間軸を知っているからこそ、余計にこの時代の空白期の貴さが際立つ。単純に恋の詩が多いし。

 

余談だが、最近、ある詩が話題になった。

明日戦争がはじまる
まいにち
満員電車に乗って
人を人とも
思わなくなった

インターネットの
掲示板のカキコミで
心を心とも
思わなくなった

虐待死や
自殺のひんぱつに
命を命と
思わなくなった

じゅんび

ばっちりだ

戦争を戦争と
思わなくなるために
いよいよ
明日戦争がはじまる

宮尾節子氏の「明日、戦争が始まる」*2という作品だが、個人的な印象として非常にガッカリした。

時代の空気なのだろうが、政治や思想で文学を染めてほしくない。そういうガサツさがこの作品を好きになれない一番の理由だ。

 

話を戻す。

 

20年後、政治や思想という暴風が吹き荒れる時代が待ち受けていることが分かっているからこそ、この『月下の一群』という作品は愛おしいのだ。

再読して思ったのが、詩人の並び。

アポリネールとマリイ・ローランサンが離れているのに対して、ラディゲとコクトーは隣り合っている。

これも堀口大學のこだわりなのかと妄想する。

 

アポリネールとマリイ・ローランサンは恋人だったが、アポリネールモナ・リザの盗難事件に加担した嫌疑がかかったことによって関係が破たんする。

そのときの恋の終わりを歌ったのが、あの有名な『ミラボー橋』だ。

 

ラディゲとコクトーもまた、恋人関係にあった。

早熟の天才であるラディゲを見出したのがコクトーなら、彼を誰よりも愛したのもコクトー。だが、腸チフスによってラディゲは19歳の若さで早逝。悲しみに暮れたコクトーはアヘンに溺れる。ちなみに、そのアヘン中毒からの回復までを記したのが『阿片―或る解毒治療の日記』。*3

 

歴史的には人類史上初の大規模な地獄を体験したからこそ、恋の唄であったり別れの唄であったり、とにかく人間というものへの賛歌に満ち溢れている。

改めて書いて思ったのが、この”人間というものへの賛歌”が、オイラがこの作品を好きな理由の核なのかもしれない。

 

「自分の好きな詩だけを集めた」というこれ以上ないくらいにストレートな基準は、作品それ自体にも及ぶ。

例えば、とてもとても有名なコクトーの『耳』

私の耳は貝の殻

海の響きを懐かしむ

本来はもっと長い詩なのだが、堀口はこの部分だけを抜いている。

このやり方には、ちょっと考えるところがある。

でも、結果としてたった二行にもかかわらず、目の前に情景が浮かんでくるだけでなく、それこそ五感全てに訴えかけてくる作品となったのもまた事実だ。

「好きだから」というものの持つエネルギーや効果は恐るべし。

 

オイラはハッキリ言って古臭い趣味の人間なので、詩というものに対して”詩情”を求めてしまう。だから、宮尾節子氏の「明日、戦争が始まる」という詩が嫌いなのだ。

世知辛い世の中だし、楽しいことはない。

だからこそせめてもの慰みで『月下の一群』の頁をめくりたい。

*1:このときパリに集った芸術家のメンツを堪能するには、ウディ・アレン監督の『ミッドナイト・イン・パリ』が手っ取り早い。

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*2:宮尾節子氏に与謝野晶子がダブるのは気のせいだろうか?与謝野晶子といえば『君死に給うことなかれ』を読んだ歌人だが、肝心の第二次世界大戦ではコロッと手のひらを反して体制翼賛になった。

*3:このとき治療費の全額を負担したのが、日本人・薩摩治郎八。パリの社交界では非常に有名な人物で、30億円の資産を使い切って無一文になったことで知られる。