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積み上げられた未読本の消化と、ホラー映画100本ノックを目指すブログ。不定期更新のゆるゆるです。

デューン/砂の惑星【TV放送長尺版】

 

デューン/砂の惑星 TV放映長尺版 [DVD]

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フランク・ハーバート原作の大河SF『デューン砂の惑星』の映画化。中でもTV放映のため再編集したのがこの作品。ちなみに監督はあのデヴィット・リンチだが、フィルムの最終的な決定権がなかったことを理由にクレジットを拒否したため、”アラン・スミシー”名義になっている。

 

正直なことを言わせてもらえば、この作品は誰が撮ってもうまくいかなかっただろう。というか、そもそも映画向きの作品ではないのでは?とさえ思ってしまう。

事実、デヴィッド・リンチに至るまでは紆余曲折。それで一本の映画ができるほどだ。ってか、映画になったんだが。

それが『ホドロフスキーのDUNE』。


映画『ホドロフスキーのDUNE』予告編 - YouTube

 

ホドロフスキーのDUNE』に詳しいのだが、そこで描かれていないことも踏まえてザックリ説明すると……

  1. リドリー・スコット
  2. アレハンドロ・ホドロフスキー
  3. 再度リドリー・スコット
  4. デヴィッド・リンチ

でやっと監督決定。

当然、プロデューサーも変わってるだろうし、現場は大混乱だっただろう。

特に再度名前の挙がったリドリー・スコットは、単純にホドロフスキーがブチ上げたバージョンを収拾するためだけに起用された感があり、かわいそうという以前に「イイ人なんだな」と思わずにはいられない。

なお、このホドロフスキー・バージョンに脚本家として参加したのが、ダン・オバノン。後に、彼はこの現場での経験を生かし、傑作『エイリアン』の脚本を手掛ける。ちなみに監督はリドリー・スコットだ。

 

いずれにせよ、ホドロフスキーが作ろうとしていた『デューン』のメチャクチャ具合は、本当にぶっ飛んでいる。

主演がストーンズミック・ジャガーで、共演にサルバドール・ダリオーソン・ウェルズ。コンセプトデザインを漫画家のメビウスH.R.ギーガーが担当し、劇中の音楽はピンクフロイド

この驚天動地のぶっ飛び具合に、製作総指揮のディノ・デ・ラウレンティスがビビってしまい「ちょっと待て」とストップをかけたことでホドロフスキーが激怒。

「テメエ、オレを誰だと思ってやがる。アレハンドロ・ホドロフスキーだぞ!!」という有名な捨て台詞とともに降板。

作り上げられた数々のコンセプトデザインや脚本、イメージボードが企画頓挫とともに『ブレードランナー』や『スターウォーズ』、『エイリアン』といった数々の傑作の元になった。

 

とはいうものの、映画はやはり作ってナンボ。公開してナンボ。ヒットしてナンボなので、ディノ・ラウレンティスは諦めなかった。

とりあえず「監督を立てなければ」と彼は思ったのだろう。それもただの監督ではダメだ。ホドロフスキー並みとは言わないが、アレに近い突飛な才能を持っていてなおかつ安いギャラでこき使えそうな野郎はいないものだろうか?

という様々なオトナの事情から抜擢されたのが、よりにもよってデヴィッド・リンチ

当時のリンチは『イレイザーヘッド』と『エレファントマン』しか監督作がなく、それこそ知る人ぞ知る若手カルト監督だった。

そんな低予算カルト映画をシコシコつくっていた男に、莫大な予算がかかった映画の監督をさせたのだからラウレンティスも太っ腹というか、やけっぱちだ。

結局のところ、この決断が後々色んな意味での悲劇を生み出すことになる(笑)。

 

悲劇その1としては、この映画非常に長い。

【TV放送長尺版】と銘打たれている本作はぶっちゃけなげえ。

長いうえに、監督であるリンチがそもそも原作の『デューン』に対して関心がなかったらしく、やる気のある部分とやる気のない部分がえらくはっきりしている(笑)

それが如実に感じられるのが冒頭。デューンの世界観が語られるプロローグを、リンチは全て絵とナレーションだけで行うのだ。

考えてほしい。

例えば『ロード・オブ・ザ・リング』。指輪の来歴を全部絵とナレーションで済まされたら、どう思いますか?ガッカリじゃないすか?

例えば『レッドクリフ』。赤壁の戦いに至るまでの過程を説明してくれるインターミッションが冒頭にある実に親切な映画なのだが、リンチの『デューン』はこれが延々と20分近く続くのだ。

「プロローグとか全然興味ないし、絵とナレーションでいいよ」という判断を下し、あまつさえ実行したリンチ。やっぱタダモノじゃない(笑)。っていうか、のっけからやる気ゼロって、監督としてどうよそれ(笑)

 

とはいえ、リンチも人の子なので、やる気全開のシークエンスもある。

ちなみにそれが悲劇その2。

デヴィッド・リンチという男は、よく言えば変わった形をしたものが大好き。直球な表現でいうところの奇形(フリークス)大好きなド変態だ。

イレイザーヘッド』の赤ん坊を筆頭に、『エレファントマン』のジョン・メリックなど、必要以上に奇形者を出したがる傾向があり、それが彼の作家性でもある。

それが本作でも如実に表れており、見ている観客を非常にイヤーな気持ちにさせてくれる。

子ネズミを生でブチュブチュ言わせながら啜るシーンなどは「ああ、これからしばらくはネズミが食えねえな」と思うこと請け合い。というか、普通の人間はネズミを食べません。他にも、ブツブツやブヨブヨ、カサブタなどリンチが好きそうな歪な表現が、物語のフッテージとは特に関係なくパワー全開だったりと、初の高額予算の大作映画であるにもかかわらず、彼の作家性がダダ漏れ

全く物怖じしない姿勢に男っぷりを感じます。

 

良くも悪くも、ホドロフスキーがぶち上げた『デューン』が元になっているせいか、難解かつ壮大なSF大作。主演ミック・ジャガー、共演ダリ&オーソン・ウェルズなどというバカげたキャスティングはカットされたが、ロックバンドに音楽を担当させるというアイディアにはGOサイン。ただし、ピンクフロイドではなく、TOTOブライアン・イーノになったのは格下げではない。っていうか、絶対にこれはリンチの希望じゃねえな、コレ(笑)。

ホドロフスキーのものなのか、それとも原作がそうなのかはちょっとオイラには判断がつきかねるが、壮大かつ哲学的な大河叙事詩と、リンチの好むシュルレアリスムとの相性が抜群に悪いことだけはひしひし伝わってきたぞ(笑)

ただでさえ話がデカすぎて分かりにくいところきて、リンチというよく分からない映画を撮る監督にメガホンを取らせた結果、余計によく分からない映画になったのは当然の結果。でもまあ、リンチ映画にしては抜群に話が分かる映画だったりするのはご愛嬌だろう。

リンチの映画で話が分かる、話が理解できる、というのは新鮮な驚き。

まるで自分の頭がよくなったような錯覚に見舞われるが、絶対にそれは気のせいだ。

 

スターウォーズ的というか、まさに大河SF巨編。

余りの壮大さに呆気にとられてしまい、ただでさえ入り組んだ人間関係が全く頭に入ってこず、ろくすっぽ物語が理解できない状況に陥ってしまい、本作に携わった方々には大変申し訳なく思う気持ちでいっぱいだ。

 

っていうかこの映画、長すぎるよ!!

 

【追記】

結局のところ、本作は興行的にもコケてしまい、挙句の果てにリンチ当人も自分の作品群から外したいと公言する結果に。

これだけの大作をコケさせたにもかかわらず、次作の『ブルーベルベット』では再び低予算の世界にカムバックして大ヒット。

……この一連のてんまつを見るにつけ、その人に合った規模のフィールドってあるんだな、と実感せずにはいられない。

要するに、10万人が1回見るのがいいのか?それとも1万人が10回見るのがいいのか?

これは同じようで全く違う話。……うーん、実に興味深いなあ。