眼鏡堂書店

積み上げられた未読本の消化と、ホラー映画100本ノックを目指すブログ。不定期更新のゆるゆるです。

檀流クッキング/檀一雄

檀流クッキング (中公文庫 A 69)

檀流クッキング (中公文庫 A 69)

 

直木賞作家・檀一雄によるエッセイ。四季折々の旬の素材を使った家庭料理が目白押し。

 

解説によると『檀流クッキング』は昭和44年2月より、毎週1回産経新聞紙上に連載されたものらしい。分量としては原稿用紙4枚でまとめられている。この”原稿用紙4枚分”という分量が絶妙で、1編1編がサクサク読める。

一応、料理レシピエッセイだけどそれ以前に読み物として楽しいぞ。

 

檀一雄というと『火宅の人』あたりが有名で、”太宰治ほどジメジメしてない&坂口安吾ほどアグレッシブでない”作家、というのが個人的な印象。

火宅の人 (上巻) (新潮文庫)

火宅の人 (上巻) (新潮文庫)

 
火宅の人 (下) (新潮文庫)

火宅の人 (下) (新潮文庫)

 

檀作品は食事シーンが印象的だけど、『檀流クッキング』はその印象的な食事シーンのエッセンスを抽出した感じだ。

 

最初にも書いたけど、この本は料理レシピエッセイだ。

と、自分で書いておきながらその表現がしっくりこない。

料理レシピというと、その料理を作る手順、材料や調味料の細かな分量が書いてなければならないものだと思うんだけど、『檀流クッキング』にはそれがない。完全にないわけではないけど、すいぶんザックリ。

料理の手順もとてもザックリ。このへんのザックリ具合は『MOCO'Sキッチン』みたい。

MOCO'Sキッチン (日テレBOOKS)

MOCO'Sキッチン (日テレBOOKS)

 

まあ、オリーブオイルドバーとか、高いトコから塩ファサーとかはないけど、方向性は一緒。

”檀’s★キッチン”だ。

 

流通経路や冷凍技術が発展した昨今だと、季節を問わず買えるようになったものも多い。でもあらためてこの本の目次、料理名がずらっと並ぶ目次に溢れる季節感にワクワクする。

なにより、この本にあるのはザ・家庭料理。

日常の食卓にさりげなく登場するおかずというのが、きっと本作をロングセラーたらしめた最大の理由なのかもしれない。

この”家庭料理への固執”は、檀一雄自身の幼少時の体験によるものだ。

母の家出により、残された父親と檀、そして妹の食生活が一変。仕出し弁当で我慢できた父親はまだしも、子どもにとってそれは耐えられるものではなかった。だから、料理を覚えなければならなかった。

必要に迫られたことと同時に、結構ヘビーな告白にもかかわらず、本作の冒頭に記されたこのエピソードの語り口は極めてあっけらかんとしている。

遠い昔のことだからからか、それとも深刻さから遠ざかろうとしての意図的なものなのかはこの際置く。ただ、全体を通してのこの”あっけらかんとした感じ”がただのレシピエッセイではなく、一つの読み物としての魅力なのは間違いないように思う。

 

それはこの本の中で取り上げられている家庭料理の魅力でもある。

日常生活の中で日々食べる食事、飽きのこない食卓の魅力とこの『檀流クッキング』の魅力とはイコールだ。

前にも書いた『MOCO'Sキッチン』と同じように、材料の細かい分量や手順の遵守にこだわることなく、完成したものが美味しければいい、という点に帰結するのも家庭の味らしくていい。もっとも逆説的に考えると、そもそも家庭の味(おふくろの味)に無縁の少年時代を送ったからこそ、家庭の味というものに対して異常に執着しているようにも見えてくる。

この辺りが、檀一雄のその他の作品にチラチラ見られる要素。

人を愛したい、人から愛されたい。男としての器がデカすぎるのか、それとも単純にわがままなだけなのか、檀一雄という人物の人間的な魅力は度量が広くて人懐っこいところだ。*1

 

時代の流れが必要以上に速いせいか、家庭での食事というものに裂かれる割合が減ってきているような気がする。その代わりに、食事に対して付加価値をつける傾向が強くて、オイラとしては非常にマズイんじゃないか?と考えたりもする。

軽くネットで調べてみたら、”食事力”などという眩暈のする単語がバシバシヒットしてしまい、「もうこの世は終わりだな」と思ったりもした。

こういうような、なんでもかんでも結果を求めようとする風潮はよろしくない。

結果を求めるな、と言っているのではなくて、せめて食事(特に家庭での食事)くらいは、そういったものから解き放たれたリラックスできる空間であってほしい。

「うまいものを食わせとけばOKだろ」というようなことではないのだ。

 

それはこの『檀流クッキング』を読めば一目瞭然。 

家族で食卓を囲むことの楽しさ、作ることを含めての食事の楽しさが、この本にはあふれている。

でも、『クレヨンしんちゃん』や『ちびまる子ちゃん』『サザエさん』の家庭や家族の場面に感情移入が出来なくなってきている状況にある昨今。『よつばと!』で指摘される”疑似的な家族という集団”のほうが自然なリアリティと捉えられる状況下にあることを考えると、『檀流クッキング』にある”かつては普通だった家庭や家族の姿”がフィクショナルなものになってしまわないか、若干心配ではある。

 

まあ、そこまで深刻に読むような本ではないんだけどね。

*1:この辺は嵐山光三郎氏の著作に詳しい。まあ、担当編集者だったからねえ……。