眼鏡堂書店

積み上げられた未読本の消化と、ホラー映画100本ノックを目指すブログ。不定期更新のゆるゆるです。

愛猿記/子母澤寛

愛猿記 (1956年)

愛猿記 (1956年)

 

新撰組始末記』などで有名な時代小説の大御所、子母澤寛の随筆。

偶然から飼うことになった猿の三ちゃんとの日々を中心に、作者が飼ってきた生き物たちとの日々をつづったもの。

 

眼鏡堂が持っている版は超古いので、旧漢字の文体なので若干読みにくかったのですが、20代の折の愛読する作家は泉鏡花という時代に全力逆行な経験があったおかげで、そんなに苦労せず読み切ることができました。

 

暴れ猿の三ちゃんがだんだんと作者に慣れ、しつけがなされていく様子に眼鏡堂は子育てを連想したのでした。物心がつく以前の子供、そのわずかな期間の間に少しずつ分別がついていく様子が、「いいこと」「わるいこと」の分別がついていく三ちゃんに二重写しになっていろいろと考えさせられたところです。

どうしても最初に強く連想されたのが『育児』というものだったので、この本の言わんとするところから遠ざかっているような気もしますが。

最近は『叱らない子育て』が曲解されていて、子供を叱れない親たちがいるそうです。

三ちゃんに自分の立場をわからせるために、その首筋に思い切りかみつく作者の姿は、昔の父親像を連想しました。頑固で融通が利かないけど、実は愛情深いという昔の父親像ですね。

とはいえ、相手は猿。

家族がイヤだといってるのにホイホイ生き物を連れてくる一方的で迷惑な父親像というのもまた、昔の父親像(笑)とはいえ、三ちゃんのしつけと世話は彼がする(全部じゃないけど)だけまだマシなのかも。

 

連作随筆なので猿の三ちゃんだけでなく、犬だったりカラスだったりとこの人動物を飼いまくる。飼いまくるんだけど、読んでいると作者の不注意からどんどん死なせているのが、眼鏡堂には受け入れがたいものがあって、読むスピードに急ブレーキ。

個人的なことではあるけど、昔犬を飼っていてその最後を看取ったせいか、これ以上生き物を飼いたいと思いません。どうしたって生き物は死んでしまうわけだし、その喪失感が結構あったので。

そういう気持ちが心に刺さっているから、本来であれば防げたはずの生き物たちの死が文章の間から垣間見えてきてしまって、どうにも個人的に読み味がよくない印象。

一時ではあれ家族として飼っていた生き物との別れの喪失感が、どうにも薄いというか……。

 

最初の出だしはよかっただけに、なんかちょっとなあ……。

もう少し、時間を置いてから再読したら印象が変わるのかも?以上、おわり。