眼鏡堂書店

積み上げられた未読本の消化と、ホラー映画100本ノックを目指すブログ。不定期更新のゆるゆるです。

八本足の蝶/二階堂奥歯

 

八本脚の蝶

八本脚の蝶

 

国書刊行会の編集者である(あった)著者がウェブサイトに書き綴った内容を書籍化。

 2016年の本屋大賞内で第1回超発掘本に選ばれました。

 

内容としては、日々雑記であったり読書記録であったり、とまあよくありそうなものではあるけれど、日々雑記の部分がコケティッシュで愛らしい。

気まぐれな猫が人間になったような女性だなあ、と眼鏡堂は思いました。

半面(といっていいのか?)、読書記録的な部分のとんがり具合がすさまじい。

圧倒的な知性と感性、そして非常に深くて複雑な思考とが絡み合っていながらも、文章は平易で読みやすい。さすが生前”国書刊行会の女王”と称された人だけのことはある。

出てくる本も、例えば『O嬢の物語』であるとか『バージェスの乙女たち』のようなエロティックなものに始まり、サンリオSFとかマジックリアリズム文学、幻想文学などなど。眼鏡堂はSFが割と苦手分野なので、「あー、そういう本もあるんだフムフム」てな具合なのですが、その他に関しては非常に趣味が合うというか、まだまだ読み込みが足りないな、と反省した次第。

世の中上には上がいるもんだ。

 

著者の、

「私は物語は書けないけれど、私はそれをまもる者でありたい」

という決意というか信念が、口先だけでなく、彼女自身の芯として貫き通されているのが心地よい。

半面、年齢を重ねていくにしたがってその決意というか信念の輪郭がぼやけてきて、熱意も失われてしまう。それが表現として適切かどうかわからないけれど、”大人になる”ということなのではないかと思うのです。

言い換えれば”成熟する”というような。

しかし、彼女にはそれがない。

成熟を拒否し、ありのままの無垢な感性で文学や芸術に相対していく。

これで眼鏡堂が思ったのは、ヴェニエ・ド・リラダン

"Vivre ? les serviteurs feront cela pour nous"(「生活? そんなことは召使どもに任せておけ」)

確かに、そうできればいいし、今現在の息の詰まるような現実を見続けるよりも、自由な空想の世界の中だけに耽溺できればどんなにか幸せなことだろう。

でも、世の中そんな風にうまくはいかないわけで。

自分自身が生きていくには、必ず目の前に現実が立ちふさがってくる。

良いことも、悪いことも。

結果として、著者の年齢は永遠に25歳のままで止まってしまったのですが。

 

終りの方に行くにしたがって、読むのがすこしつらくなるのは事実。

でも、ひとりの女性の生きた証として、どれくらいの期間、どれくらいの人の目に留まり続けるかわからないけれど、すごく心に迫ってくる本でした。

 

眼鏡堂が一番心を打たれたのが、生前の彼女と親しかった人たちのコラム。

その最後を飾る、恋人の文章。

そこにつづられた、ごくごく普通の恋人同士のやりとりが余計にせつない。

電話の向こうで奥歯は最後に、いつもの調子で私に尋ねた。

「哲、私のこと愛してる?」

私は、いつもの調子で答えた。

「はいはい。愛してますよ」

以上、おわり。