眼鏡堂書店

積み上げられた未読本の消化と、ホラー映画100本ノックを目指すブログ。不定期更新のゆるゆるです。

1000の小説とバックベアード/佐藤友哉

1000の小説とバックベアード (新潮文庫)

1000の小説とバックベアード (新潮文庫)

 

雑誌『メフィスト』出身の作家・佐藤友哉による文学ミステリ。 

片説家をクビになった主人公・木原は、失意の中で謎めいた女性配川ゆかりから「小説を書いてほしい」と依頼を受ける。片説家をクビになった途端、文字を読むことも書くこともできなくなった木原は小説を書き上げることができるのか? 同時に、失踪している配川ゆかりの妹の唯一の手がかりが木原の勤めていた会社が手がけた片説をきっかけに、小説そのものの存在を揺るがしかねない「1000の小説」という巨大な陰謀に巻き込まれていく、というストーリー。

ちなみに、作者は本作で第20回三島由紀夫賞を受賞。さらに蛇足として、『ファーストラブ』で直木賞を受賞した島本理生と結婚&離婚を経て復縁、再婚しました。

 

さて。

 

本作の内容を一言で表すなら、「小説ってなんだろう?」。

ただの文章と小説とを隔てるのは何だろう?

同時に、良い小説、素晴らしい小説とそれ以外の小説は何が違うんだろう?

本作では小説と似て非なるものとして登場する片説。特定された個人の依頼によって書かれ、依頼主を喜ばせるためだけに存在するのが片説。その片説に、片説以上のものを与えようとしたからこそ、主人公の木原は片説家をクビになってしまったわけですが……。

とはいえ、この”特定された個人に対してのみ向けられた物語”と聞いて、眼鏡堂がパッと思い浮かんだのが、アナイス・ニンの『小鳥たち』。

小鳥たち (新潮文庫)

小鳥たち (新潮文庫)

 

 確かにこれほど片説じみた小説はなくて、ある年老いた金持ちが、若くて美しい女性小説家であるアナイス・ニンに依頼したのは、才色兼備の彼女によって書かれた官能小説。性的機能を失いつつある彼自身を再び燃え上がらせるような官能小説を、だったそう。……自分で書いてて思ったんだが、なんかもっと別の一例もあったような気がするけど、気にしない気にしない。

で、閑話休題はここまで。

 

ともあれ、この小説という代物に対して、こうも真摯に向き合って戦いを挑んだ作品はそうそう多くない。「小説って何?」「文学って何かの役に立つの?」という”小説”や”文学”なるものが誕生してから今日に至るまで延々と繰り返されてきた疑問に対して立ち向かい続けた(立ち向かい続けている)作家といえば、高橋源一郎

この『1000の小説とバックベアード』自体が、オマージュとは言わないまでも同じ方向性にあると思われるのが、『日本文学盛衰史』。

日本文学盛衰史 (講談社文庫)

日本文学盛衰史 (講談社文庫)

 

合わせて、書けずに苦しむ木原の心中や、小説には何が必要なのだろう?というもろもろについて書いてあるのが『官能小説家』。

官能小説家 (朝日文庫)

官能小説家 (朝日文庫)

 

 いずれにせよ、親の世代が問い続けた問題について、若手と呼ばれる世代が必死にはいつくばってのたうち回って、無様で不格好だけれども一定の回答を導き出して見せた、というだけでもこの本には十二分以上の価値があると思うのです。

 

個人的に、非常に引き付けられたのが作中に登場する”やみ”と呼ばれる存在。

小説の才能があるのに努力をせず、小説に関わるものすべてを笑う。そして彼らは毒のみを抽出した文章を世に流そうとする”やみ”。

そんなバカなことが、と思われるかもしれないけれども考えてほしい。

たった一冊の本、あるいはたった一つの文章。それに心を(良きにつけ悪しきにつけ)動かされることもあるし、あるいはその一冊の本や一つの文章が人間一人の生き方を変えてしまったり、人生を決定づけてしまったりすることだってある。

そういう意味では、小説というもののもつ力がいかにすさまじいかわかろうというもの。まして、この”やみ”のような強烈な毒を孕んだ蠱惑的で魅惑的な小説ほど筆舌に尽くしがたいほどの体験を味わわせてくれるわけで……。

 

と、こういうことを書いていると「難しい小説なんじゃないかしら?」と思われるかもしれないけど、そんな心配は全くなし。エンターテイメント性もばっちりあるからとにかくスラスラ読める。それでいて、本読みであればあるほどグサッとくる棘も見え隠れ。

例えば、いろいろと略したけど、こういう一節。

「あなたは幸せ者なの。まっすぐな幸せ者なの。おすすめの本や、売れている本を、正しい気持ちで読める幸せ者なの」「それは素晴らしいことだわ。本当に素晴らしいことだわ。皮肉じゃなく。」

そしてさらにもう一丁。

普通に販売されている普通の小説を、普通に推薦されている普通の小説を、普通に売れている普通の小説を、僕は普通の気持ちでもう読めない。

 あの幸福だった読書時代は、どこに消えてしまったのだろう?

んでもって、とどめ。

 「きみたちは勘違いしてるみたいだけど、小説なんかじゃ、誰の世界も変えられないんだ。文字しか書かれていない紙束で、他人の頭を動かせると本気で思っているのかい?」

 

それでも小説を読み、あるいは小説を書くのはどうしてか?

その結論は青臭いけれども、ひとつしっかり筋が通っている。それがどんな結論なのかは、本作を読んでみてのお楽しみなので悪しからず。

年の初めから、なかなかよろしいものを読んだ気がする。

ただ惜しむらくは、本作が単行本も文庫も絶版になってるっぽくて新刊書店ではお目にかかれず、かといって古書店に並ぶことも少なく、下手したら図書館にもない可能性が十二分に考えられること。何が一番不幸だって、その現実が一番不幸だよ!

デビューからしばらく拗らせた重版童貞をことここにきてもっかい拗らせなくてもいいと思うんだ。以上、おわり。