眼鏡堂書店

積み上げられた未読本の消化と、ホラー映画100本ノックを目指すブログ。不定期更新のゆるゆるです。

癩王のテラス/三島由紀夫

癩王のテラス (1969年)

癩王のテラス (1969年)

 

三島由紀夫による最後の戯曲。

ハンセン病に侵されたジャヤーヴァルマン7世のアンコール・トム造営とバイヨン寺院の建立を軸に、クメール朝の衰退と病により肉体が崩れていく王の様子とを対比的に描く壮大華麗なロマン的作品。

 

正直、”戯曲”というジャンルが一般的にどのくらいの頻度で読まれるものなのか、多少の疑問はある。眼鏡堂の記憶では、小学校や中学校の国語の教科書には戯曲(台本)が記載されていて、たしかアレは『北の国から』だったような気がする。

いわゆる国語表現のひとつであり、併せて、学芸会とかで必要になるから、という実務的な事情もそこにあったに違いなく、まあ、そういうわけで戯曲なるものを初めて目にしたのはそういうときだったろうと思われ。

んで、話を戻すと、いったいどれくらいの人が、戯曲(台本とかシナリオとかも含む)を読むのだろう?という素朴な疑問。

そのテのものがベストセラーにランクインしたのは、『新世紀エヴァンゲリオン』が全盛期だったころに発売されった台本集が最後のような気がします。

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どんなにそのドラマなりアニメなり舞台なりがブイブイ言わせたところで、その大本になっているシナリオというものに関心が向かないもの。そのくせ、作品が批判されるときに決まって言われるのが「脚本が~」という決まり文句。

そういう意味で、戯曲というのは非常に冷遇されているジャンル。

そんでもって、前述と同じように鼻で笑われながら言われるのが「実際にできたものを見ないとね(映像とか舞台とか)」。

……世の中には、”レーゼシナリオ”という文学上の遊びがあり、これは戯曲も小説の一部であるという考えに基づいています。なので、映画とか舞台とかになって上演されなくてもOK!という。

その最たるものが、荒井晴彦さんの手による『シナリオ神聖喜劇』。

シナリオ 神聖喜劇

シナリオ 神聖喜劇

 

 「このシナリオをノーカットで映像化すると、上映時間は27時間になるね」と書いた当人もおっしゃる、極め付きのレーゼシナリオ。ちなみに、アマゾンレビューでは「なんでこんなに長いのか理解できない」「コンパクトにまとめてこそ脚本家の手腕」などという元の『神聖喜劇』を知らない連中が悪評を並べていますが、そもそも『神聖喜劇』を短くコンパクトにまとめたら、それは『神聖喜劇』ではなくなってしまうので、この異常ともいえる長さが必要なんです。(断言)

 

と、まあ、余計なことをズラリと並べて文字数を稼いだところで、いよいよ本題へと入ろうかと思います。

物語の舞台となるのはカンボジア。東南アジアの王朝の歴史を描いた(もしくは、そこを舞台とした)作品はあまりなくて、他にぱっと思いつくのは澁澤龍彦の『高丘親王航海記』くらいのもの。あとは金子光晴の『マレー蘭印紀行』くらいかな?

いずれにせよ、アンコール・ワットとかを知ってはいるけど、その王朝の成り立ちというところまでくるとかなり厳しい。でも、知らないからこそ、余計に何となく出思い浮かぶイメージが非常にオリエンタルで新鮮なものに感じられるのも事実。

実際、本作を読んでみるとその異国情緒の部分がきらびやかで、作品自体の持つ壮大華麗な雰囲気を後押ししているように思えます。

ハンセン病に侵されてもなお壮大なアンコールトムの造営とバイヨン寺院の建立に心血を傾けるジャヤーヴァルマン7世の姿は、マグダラのマリアそのもの。醜くなればなるほどに神聖化されていき、最後は肉体と精神とが完全に乖離するところで物語に幕が下ろされます。吉兆と凶兆とを乗り越え、様々なものを失いながらもなお、己の目指すところに向かい続けたジャヤーヴァルマン7世は果たして名君であったのか、それとも暗君であったのか、登場人物の誰に視点を置くかで見え方が変わってくるところも、何度もページをめくりたくなります。

 

にもかかわらず、本作はおいそれと読めません。読もうと思ったらわざわざ全集を入手するほかありません。

癩、つまりハンセン病を扱ったものであるから、というのが理由の最たるものなのでしょう。「ハンセン病差別につながる!」という当時の論壇の圧力からそうなったらしいのですが、今日に至るまでそれが解かれてはいません。出版社としてはなるべく波風を立てたくない(おかしい連中の相手をしたくない)だろうし、わざわざたった一冊の本のために割く労力としては割に合わない、というところでしょう。

ハンセン病患者を差別するな!許せない!」という論には一部同調するにせよ、眼鏡堂としては全部ではありません。出版社同様に、人の話に聞く耳を持たない輩を相手にする気もありませんから。

いずれにせよ、そういった視野狭窄の輩のおかげで、こういう秀でた傑作を独り占めできるのだから願ったりかなったりです。持っている版がほぼ初版のせいか、旧漢字&旧仮名でしたためられているのも実に素晴らしい。別に腐すわけではないけど、宮藤官九郎三谷幸喜松尾スズキの戯曲にこういう壮麗さがあるか?って聞かれると、ちょっとねえ……。かといって、美輪明宏の如き上っ面のハリボテ演劇のシナリオじゃあもっとがっかりしそう。

ミシマニア、といえるほど三島作品に親しんでいるわけではないけど、時々読むとため息モノ。ホント、優れた文章表現っていうのはこういうものをいう、というお手本みたいなもの。実に素晴らしい。以上、おわり。