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ガス人間第1号

【長文注意】 

ガス人間第1号  [東宝DVD名作セレクション]

ガス人間第1号 [東宝DVD名作セレクション]

 

今回ご紹介する映画『ガス人間第1号』は1960年公開のSF特撮映画で、監督は『ゴジラ』や『妖星ゴラス』で有名な本多猪四郎。本作と『美女と液体人間』『電送人間』などとでライフライン三部作としてくくられたりもします。

お話を簡単にご紹介すると、科学者の人体実験によってガス人間にされてしまった男と、零落した日舞家元との悲恋を描いた物語です。

公開から60年近くたった作品。それも『ガス人間第1号』という極めてイロモノなタイトルの特撮映画を取り上げたのは、先ごろアカデミー作品賞をとったギレルモ・デルトロ監督の『シェイプ・オブ・ウォーター』。それに大きな影響を与えた作品だから、ということで再見したからです。

むしろ、この時期だからこそ、改めて多くの人に見てもらいたい作品なのです。

色々と書きたいことがあるのですが、あえて本作の核となる登場人物、ガス人間の水野と、日舞家元の春日藤千代、この二人から考えたことや思ったことをつらつらと書いていこうと思います。

 

まずは、科学者の人体実験によってガス人間にされた水野。

 

彼の強烈な虚無主義ニヒリズム)は、彼が薄笑みを絶やさず、そして暴力的な粗暴な態度をとらず、むしろ慇懃無礼なほどに丁寧な物腰であることから、よりそれが強調されます。

もともとは航空自衛隊のジェット戦闘機乗りになりたかったにもかかわらず、体格の問題でその夢がむなしく破れてしまいます。そして図書館のカウンター係として無為に暮らしているところを、佐野博士に(結果として)付け込まれてしまいます。

その結果、彼の人体実験の犠牲者としてガス人間になってしまい、その博士を殺してしまったことでガス人間から人間へと戻ることができなくなってしまいました。

しかし、結果としてこのことが彼の虚無主義ニヒリズム)を(悪い意味で)昇華させてしまいます。

虚無主義ニヒリズム)とは、過去及び現在における人間の存在には、意義・目的・理解できるような真理、本質的な価値がないとする哲学的立場のことを指します。

その虚無主義を積極的に後退することによって生まれるのが、ニーチェの説く”超人思想”。超越した存在となった人間は、平凡な人間の作ったルールに従う必要はない。かつてナチスドイツによって歪められて伝播された超人思想。

水野はガス人間となり、欲しいものをすべて手に入れることができ、どんな人間も簡単に殺すことができる、という現実を手に入れたことで、彼は自分自身が超人となったことを自覚するとともに超人思想に従って生きていくことを選びます。

 

そんな水野に一方的に愛されるのが、零落した日舞家元の春日藤千代。

隆盛を極めた彼女の流派も、今現在は完全に落ち目。かつての弟子たちは彼女のもとから離れ、中には自らの流派を起こすものまで現れる始末。

もしこれが、彼女自身に舞踊の才能がない、という理由からであれば彼女はもっと心穏やかであったでしょう。しかし、本作における彼女は圧倒的な才能を持ちながらも、周囲の無理解や、教養のない人々によって、このような有様に甘んじなければならないのでした。

八千草薫演じる彼女を見てすぐにわかるのは、すごくプライドの高い人であること。

楚々とした雰囲気以上に、ぴりぴりとした緊張感が伝わってきます。

流派再興のために下げたくもない頭を下げ、頼りたくもない人を頼り……。何度となくプライドを傷つけられ、裏切られ……。劇中ではただ一度だけ見せられるシーンが、そのときばかりでなく、それまでに幾度となくそのようなことがあったことを、彼女の表情が如実に物語っています。そんな彼女の唯一の心のよりどころ。それが流派再興のために心血を注いでいる演目『情鬼』。

さて、一度ここで余談を挟みます。

 『鬼』という感じの成り立ちについて、『由』と『人』とを組み合わせたものである、という説があります。つまり『由』が祭事に使う大きな仮面を、そして『人』がそれを被って祭事を行う巫女やシャーマンをあらわし、大きな仮面をかぶった人間がこの世ならざる様をもって『鬼』という漢字になったのだといわれています。

また、辞書で『鬼(き)』と引くと、このように書かれています。

見えないが、人間以上の力を持つおそろしい存在。人にわざわいをもたらすもの。また、そのような人。

では、本論に戻します。

実際、藤千代が踊ろうとする演目『情鬼』。

女性新聞記者から演目を聞かれた際、『情鬼』の情の字について、彼女はこのように答えています。

情念の『情』、情欲の『情』

彼女にとっての鬼である、かつての弟子たちやパトロン、彼女の芸術を理解しない人々……。そんな『鬼』に対しての情を仮面の奥に押し殺す。

そのうえで挑む『情鬼』。個人的に見ていてハラハラするのが、彼女がこの演目を成功させた後に何があるのか、というのが全く見えてこないこと。

つまり、彼女もまた家元再興という虚無主義に囚われているように思えてなりませんでした。

 

そんな二人が結びついたのは、物語上のご都合主義とはいえ、色々な文学作品の影がちらほらと。

パトロンとしてふるまう水野の姿に、フィッツジェラルドの『華麗なるギャッツビー』の影が。藤千代の公演を成功させるために手段を択ばない水野の姿は、まるでガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』におけるファントムのよう。

当初は自分を理解してくれる新しいパトロンとして感情を向けていた藤千代も、水野が差し出すお金の正体を知ってもなお、そのお金を必要としなければならない苦悩と悲劇。そんな中で彼女への無邪気な愛情に浮かれる水野の姿が滑稽でもあり、恐ろしくもあり。

そしてこの映画のクライマックスであるラストシーン。

ガス人間を殺すための劇場爆破。警察側の作戦が失敗し、劇場内に充満したガスに点火する藤千代。そのシーンを見ると、果たして彼女はガス人間を愛していたのだろうか?という疑問が浮かぶのですが、作品はそのことに明確に答えてはくれません。それは、受け手の側がそれぞれで考え、それぞれで結論を出すべきものなのかもしれません。

心血を注いだ部隊が終わって後、そういう作戦であったということを踏まえるにせよ、爆発と炎で死んでいくその様は、まるで芥川龍之介の『地獄変』を思わせました。

ラジオの『シェイプ・オブ・ウォーター』評において、

水には形がなく、時として人を飲み込み、窒息させることもある

という表現がありましたが、それに沿って本作をまとめると、

ガスは見えず、形がなく、人を窒息させることもできる。そして、一度火が付くと際限なく燃え上がる危険なもの。でも生きていくためには欠かせないものでもある

 

タイトルがタイトルだけに、そして特撮怪獣映画というニッチなジャンル映画なので、見る前から敬遠する人が多いのではないでしょうか?

でも、タイトルに反した大人の鑑賞に十二分に耐えうる見事な悲恋物語なので、まずは騙されたと思って多くの人に見てもらいたいのです。

なにより、ヒロインの八千草薫さんがこの当時からとんでもなくお綺麗なところも見どころです。一挙手一投足のすべてが上品で気品に溢れています。さすが、元宝塚だなと思ったところです。以上、おわり。

 

【追記】

今回、引用した作品群がこちら。

 

シェイプ・オブ・ウォーター (竹書房文庫)

シェイプ・オブ・ウォーター (竹書房文庫)

 

 

オペラ座の怪人 (角川文庫)

オペラ座の怪人 (角川文庫)

 

 

 

地獄変・偸盗 (新潮文庫)

地獄変・偸盗 (新潮文庫)