眼鏡堂書店

積み上げられた未読本の消化と、ホラー映画100本ノックを目指すブログ。不定期更新のゆるゆるです。

黒丸ゴシック1 人間崩壊/黒史郎

平山夢明プロデュース「黒丸ゴシック1 人間崩壊」 (竹書房文庫)

平山夢明プロデュース「黒丸ゴシック1 人間崩壊」 (竹書房文庫)

 
黒丸ゴシック2 人間溶解 (竹書房文庫)

黒丸ゴシック2 人間溶解 (竹書房文庫)

 

ホラー作家・平山夢明黒史郎のタッグによる実録恐怖小説集。

一編一編が非常に短く、びっくりするほどサクサク読めるのです。

 

例えば、稲川淳二の怪談。

実のところ、眼鏡堂はそういったものに興味がありません。こういうことを書くと、「ホラー映画が好きなんでしょ?」と怪訝な顔をされるのです。

何故興味がないのか?というと、そのテの実録怪談の構造に関わることなのですが、読み手の現実生活と地続きにある非現実に対しての興味が皆無だからなのです。

眼鏡堂が小説に(物語に)もとめるのは、非現実性。

それはリアルではないこと、というのではなくて、日常という現実からいかに乖離させてくれるか?ということ。お話の舞台が現実の日常であったとしても、そこで展開する物語が想像の地平の向こうに連れて行ってくれる物語。

そんな作品が読みたいのです。

そんな眼鏡堂の希望からすると、こういう実録怪談は真逆。

非常に日常と地続きだし、つねに”そこにある””現実的な”異界であり恐怖の物語。

ヤクザであったり、精神異常者であったり、交通事故であったりと、例えば新聞の片隅にある事件記事で納められている出来事が実は……。

もちろん、こういう物語は人から人へと伝わる噂がそもそもの出所であり、そうやって人から人へと伝わっていくうちに、そもそもの出発が誰からのものであったのかがわからなくなっていく。その一方で話のディティールは妙に現実的であり、半面、物語の基本構造である起承転結であったり三幕構成であったりという定型を飛び出し、いびつな形で、でも人から人への口伝えによるものであればこそ、構造が歪でも聞き手はその物語をありありと想像することができるという矛盾。

リアルであると同時にフィクショナルであるという二律背反を抱えつつも、それそのもの自体に宿る何かによって、人はこういった実録怪談というジャンルにひどく引き付けられるのではないでしょうか?

眼鏡堂はビタイチ興味がないのですが、『実話ナックルズ』の読者とか、『本当にあった怖い話』の観客とか、そういう心境なのだと思いました。

 

妙にディティールは細かいくせに、話の核自体はひどくぼんやりしている。

そのアンバランスさが現実との地続きさと相まって、自分にも起こりうる恐怖を想像することができるのです。たぶん。

 

正直、ホラー小説の熱心な読者というほどではないので、これといった感慨も特になく…。人間の狂気を描くにしては紋切り型の狂気を、手を変え品を変え書いているだけにしか思えなかった眼鏡堂は、きっと身の回りにある狂気に鈍感な人間なのでしょう。

例えば、メルマガで送られてくるものを惰性で読むにはちょうどいいのかもしれないけれど、こうして薄目の文庫二冊分をまとめて読むと、一向にありがたさが感じられないというか、正直胸焼けしてくる具合です。まあ、好きな人はたまらないんだと思われ。以上、おわり。