眼鏡堂書店

積み上げられた未読本の消化と、ホラー映画100本ノックを目指すブログ。不定期更新のゆるゆるです。

万延元年のフットボール/大江健三郎

万延元年のフットボール (1967年)

万延元年のフットボール (1967年)

 

 大江健三郎の長編小説。本作で著者は第3回谷崎潤一郎賞を最年少で受賞しただけでなく、後年のノーベル文学賞受賞の際にも、代表作の一つとして数えられています。また、多くの文学評論家が、本作を戦後文学の最高傑作として評していることも、非常に有名です。

 

大江健三郎作品というと、難解だという印象で語られていて、そうそう簡単に手出しできるシロモノではない、と思われています。まあ、実際、作品が難解であることは事実で――いや、難解、というよりも独特の語り口、つまりはマジックリアリズム的文章表現がなかなかに読者の間口を狭めているように思うのです。

そんなわけで、本作のあらすじや感想などを書き綴る前に、この”マジックリアリズム”とは何か?について、よく似た”シュルレアリスム”と比較しながら説明していきます。

似て非なるマジックリアリズムシュルレアリスムですが、その一番の違いは非日常減少のあつかい。それを言葉で延々と書いても余計に分かりにくくなるので、このような表にまとめてみました。*1

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非日常的な現象(または非現実的な現象)が作中で発生した場合、シュルレアリスムのそれはあくまでも存在しないものとして描かれるのに対して、マジックリアリズムでのそれはあくまでも現実に存在するものとして描かれます。どんなに訳が分からない現象でも、マジックリアリズムではそれは紛れもない現実。そこに大きな違いがあります。

本作で言うと、謎の病気によって大食するようになった大女・ジン、森の隠者ギイ、顔を真っ赤に塗り全裸で尻の穴にキュウリを刺した姿で自殺した友人、などが代表的なところ。これらはシュルレアリスムなら奇妙なイメージの産物で済むんだろうけど、本作ではまぎれもなく現実の存在。
また、こういったマジックリアリズム表現、というか本作が影響を与えた作品として、村上春樹の『1973年のピンボール』、舞城王太郎の『煙か土か食い物』などがあります。

 

で、肝心の作品のあらすじはというと……

重度の精神障害の子供の父親であり、親友を自殺で失った根所蜜三郎は、60年安保闘争に挫折する。そのとき、渡米していた弟・鷹四が帰国する。傷心の蜜三郎は弟の誘いに応じ、自己の拠り所と再生を求めて四国の山奥にある故郷の村へ帰る。蜜三郎と鷹四の曽祖父は地元の村の庄屋であり、その弟は万延元年の一揆の指導者であった。蜜三郎・鷹四兄弟は、この百年前の兄弟の姿に自分たちを重ね合わせようとする。(wikiより引用)

ちなみに、作品タイトルになっている万延元年は西暦でいうと1860年アメリカでは南部が独立し、後に南北戦争に。日本では桜田門外の変が起こりました。

そんな歴史的事実を背景にし、四国の山奥の村で展開する奇妙な物語なのですが、作者が本作に仮託しているのは、太平洋戦争と60年代安保運動。作中に出てくる万延元年の一揆が太平洋戦争なら、鷹四が作り出したフットボールチームとその行動は明らかに60年代安保と学生運動。村の経済を支配するスーパーマーケットへの襲撃などの点が学生運動の暗喩だし、鷹四が自分の理想とする姿と現実とを選択しなければならなかったとき、明らかに間違っているにもかかわらず、現実を見ようとせず理想を幻視するかのように現実と置き換えて自殺してしまうところなどは、まさに学生運動の始まりと終わりを見ているかのようでした。もっとも、眼鏡堂地震は当然のようにその世代ではないし、客観的事実、或いは年表上の出来事としてしか知らないので、余計に客観的にこの暗喩をとらえることができて、作品に内包・仮託されたもの、つまりは作者の主張である60年代の総括としての”万延元年のフットボール”を読み通すことができたのでした。

何はともあれ、非常に重厚な作品であり、ものすごく読みごたえがありました。

ただ、予想していたとはいえ、まあ暗いこと暗いこと(笑)

主人公の蜜三郎は、小学生に右目を失明させられるし、奥さんが生んだ子供は障害児だし、親友はわけのわからない姿で自殺するし、弟に奥さんを寝取られるし、実家の家屋敷を弟に売り払われるし、と全く救いがない。最後、彼の就職と新天地への出発に奥さんがついてきてくれるのかというと、奥さんは「一人で行ってこい(意訳)」って送り出されるし……。全体を覆っている非常に息苦しくて暗鬱な雰囲気も、あまりにもそれが度を越しているので読んでいるうちに1周回って面白く感じられてきました。

ただ、実際に物語が始まるまでの主人公・蜜三郎の内面的独白の部分で乗り切れるかどうかが、最後まで読み通せるかどうかの試金石になるかと思います。あと、やっぱネックになるのは大江文学特有の非常に難解な文学的表現。

いずれにせよ、大江文学は『死者の奢り』くらいしか読んだことがなかったので、こういった長編が読み通せるかどうか不安だったのですが、なんとかかんとか読了することができました。”戦後文学の最高傑作”という冠におっかなびっくりなところがありましたが、思っていたよりもずっと読みやすい作品でした。

それにしても、作中でほとんどサッカーが出てこなくて笑えました。以上、おわり。

 

【追記】

今回引用した作品群はコチラ。

1973年のピンボール (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)

 
煙か土か食い物 (講談社文庫)

煙か土か食い物 (講談社文庫)

 
死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

 

 

 

*1:ニコ生マクガイヤーゼミ6月号「ホドロフスキー特集」より引用