眼鏡堂書店

積み上げられた未読本の消化と、ホラー映画100本ノックを目指すブログ。不定期更新のゆるゆるです。

野火/大岡昇平

野火(のび) (新潮文庫)

野火(のび) (新潮文庫)

 

『レイテ戦記』を軸とする大岡昇平の戦争文学。 

地獄のような戦場を這いずり回り、人間性のことごとくをはぎ取られていく人間のさまを描いた小説。フィリピンが舞台となっており、著者の大岡昇平自身も(場所は違えど)フィリピンでの従軍経験を持っている。

 

まず、このフィリピン戦線における日本側の状況について書いておくと、動員された兵力は約530,000。対して戦死者は430,000。そのほとんどが補給が途絶え食糧が不足したことによる餓死や、熱帯気候による病死。いわゆる”ドンパチ”で死んだ兵士がどれくらいいたのだろうか?といぶかしくなるほど、この当時の日本軍は自ら崩壊していったのでした。先の大戦に限らず、日本軍の補給軽視は日清日露の時代までさかのぼり、「兵站輜重が兵隊ならば、蝶々トンボも鳥のうち」などと盛んにはやし立てられたものです。いうまでもなく、補給や輸送が滞れば前線部隊は間違いなく崩壊します。その証左となるものが、たとえ小説であれ、この『野火』なのではないかと思うのです。

 

さらに、蛇足。

ここにある記事があります。

www.mag2.com

要約すると、日本海軍の駆逐艦の艦長が、敵国であるイギリス軍の兵士422名を救出し世界から賞賛を受けた、というものです。別にこのこと自体を批判するつもりはありません。水に落ちた犬をたたくほど日本軍は落ちぶれておらず、たとえ敵であっても目の前で死なんとする命を助けるために手を差し伸べるのが武士道なのでしょう。

しかし、敵兵422名は決死の思いで救うに反して、同胞たる数百万の自軍の兵士たちは助けられるどころか満足な食料も与えられぬまま敵と戦わずして野垂れ死んでいったのです。なので、当該記事の内容を一方的に称賛する気にもなれず、かといってその行為を嘲笑することもできず(その行為自体は称えられるべきものであると思っています)、ただただ空虚な気持ちで字面を眺めるよりほかありません。

 

塚本信也監督の映画もそうだったのですが、原作である本書も同じように敵、つまりアメリカ軍はほとんど出てきません。出てくるのは、主人公である田村が、そして兵隊たちが、ただただ広大なジャングルを飢餓状態の中でさ迷い歩く、というものだけ。

そこで見えてくるのは、極限状況のなかで暴き出される人間の本性とでもいうべきもの。役に立たない人間を冷酷なほど簡単に切り捨てる、ということはまだまだ序の口。行き倒れた兵士の衣服をはぎ取り、生きるために必要とされる食料を手に入れるためにさまざまな騙し合いが展開されていきます。

その最たるものが安田と永松。四十代の古参兵の安田と、新兵の永松。病気で歩行困難になっている安田の面倒を(なし崩し的に)見なければいけないなったことで、安田と永松の間に一種の疑似家族関係が構築されます。ただし、それは非常に危ういバランスでの疑似家族関係。生きる、という動かしようのない一点に向かうこの危うい疑似家族関係の崩壊は凄惨そのもの。本作が発表された当時、最もセンセーショナルに扱われたのがこの前後のシークエンス。

そこに至るまで、食料も尽き、道端の草のみならず、瀕死の兵士にたかった蛭までも食べて命をつなぐ。その最終到達地点が永松の持ってくる干し肉。彼はそれをサルの肉だというのですが、その正体については……。

 

生きる、という一点に集約されながらも、それを維持するために直面するのが善悪のはざま。生きるために越えてはならない一線を越え、また、生きるために一線を越えて味方同士で殺し合うさまを見た田村は、戦後、精神病院に自ら入ります。

超えてはならない一線を越えてしまい、そこから戻ることは絶対にできない。その現状が、彼を日常に復帰しながらも、日常では生きられない存在になってしまったのでした。

 

反戦というメッセージが込められているか、というと眼鏡堂は否であると思います。

ただ、本作で描かれる戦争の姿、最前線をさまよう兵士の姿を通して、戦争というものがいかに一人の人間に深々とした、決して癒えることのない傷を残すのか、ということをまざまざと見せつけられます。

作品自体の分量ははっきり言って大したことはないのですが、非常に重厚で濃密な作品です。季節柄、秋の夜長ということで手に取ってみてはいかがでしょうか?読後、ぐるぐるといろいろなことについて考えさせられる作品です。以上、おわり。

 

【追記】

塚本晋也版の映画評はコチラ。

megane-do.hatenablog.com