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積み上げられた未読本の消化と、ホラー映画100本ノックを目指すブログ。不定期更新のゆるゆるです。

赤頭巾ちゃん気をつけて/庄司薫

赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)

赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)

  • 作者:庄司 薫
  • 発売日: 2012/02/27
  • メディア: 文庫
 

※オンライン読書会で使用した記事です。

 

【あらすじ】
学生運動の煽りを受け、東大入試が中止になるという災難に見舞われた日比谷高校三年の薫くん。そのうえ愛犬が死に、幼馴染の由美と絶交し、踏んだり蹴ったりの一日がスタートするが―。真の知性とは何か。戦後民主主義はどこまで到達できるのか。青年の眼で、現代日本に通底する価値観の揺らぎを直視し、今なお斬新な文体による青春小説の最高傑作。

※上記はAmazon商品ページより引用

 

【著者略歴】

庄司薫
1937(昭和12)年東京生れ。日比谷高校を経て、東京大学法学部卒。’58年、『喪失』(本名の福田章二で執筆)により中央公論新人賞受賞。’69年『赤頭巾ちゃん気をつけて』で芥川賞受賞(追記:32歳での受賞)。
※上記はAmazon商品ページより引用

芥川賞受賞時の選評】

 

 【感想など】

1)本の感想とか

まずは、感想の前に。

奥付では昭和44年8月10日に初版とあり、眼鏡堂の手元にある単行本はその約2年後の昭和46年5月11日となっています。その僅かな期間でもってなんと31刷!

どんだけ売れてんだよ、この本!*1

それはいいとして。

個人的には、名前は知っているけど食指が伸びない本、というのが正直なところ。

だからこそ、今回取り上げたわけですが。

 

んでもって、読んでみての感想は……。

とにかく、面白い。そして不思議と読みやすい。

主人公の薫クンが、ただひたすらに考え、悩み、そして自分の中に答えを見つける、その1日の物語。確かに、この当時の若者言葉や流行はすでに遠い昔に消え去ってしまったために、文章の中で意味が取りづらいところも少々。

それでもとにかく面白い。

正直言えば、この物語の核となっているのは、「青春期の普遍的な苦悩」*2でありそれ自体は何も珍しいことではないし、それこそ、この当時ですら手垢にまみれたものであったろうことは想像に難くない。最近だって、朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』はまさにその話。

ただ、この時代は学生運動安田講堂事件)の真っ最中、というのが当時の若者たちにとって同じ時代の空気を如実に感じさせるものだったのかもしれないと想像。例えば、綿矢りさが『蹴りたい背中』で芥川賞をとったとき、大人たちの酷評を浴びつつも、同世代がこぞって読んだのと同じ現象が、多分この当時もあったのだろう。

 

さて、主人公の薫クンの苦悩(困惑)とは何か?

それは「みんなを幸福にするにはどうすればよいか?」というもの。それはあまりにも漠然としており、果たして悩みといえるシロモノなのか、そして、彼が悩む必要のあるものなのか、おそらくそれは彼自身にさえよくわからないもののように思えます。

その曖昧模糊とした悩みや、ある意味で若者の流行病のようなもの。

だからこそ、三島由紀夫は「若さは一つの困惑なのだ」と形容しました。

そして、作者は主人公の薫クンの口を借りて、その苦悩であり困惑に対して、このような答えを出しました。

ぼくは海のような男になろう、あの大きな大きなそしてやさしい海のような男に。

これは自分自身が自分らしくあること、であり、その自分自身が自分らしくあるためにはその自由に伴う責任を負わなければならないことでもあります。

1日かけて主人公が漠然とした問いに対して導き出した、やはり漠然とした答えはこのようなものでした。

だからなんだ?と言われればそれまでかもしれませんが、この若さゆえの青臭さや困惑を好ましい共感を覚えるか、ノスタルジーとして思い起こすことができるのか、はたまた全く理解も共感も出来ないか、そのあたりが本作を面白く読むことができるか否かの分かれ目のように感じました。

ちなみに、眼鏡堂自身はこの若さゆえの困惑を懐かしむとともに、強烈な嫌悪も感じるのですが、ただただひたすらにこの困惑と不器用に戯れる主人公の姿に興味深さと、文章表現のいい意味での軽薄さでもってうまい具合に嫌悪感が相殺されて、ひとつの物語として面白く読了することができたのでした。

繰り返すようですが、本書のテーマとなるものはいつの時代もそこに存在し続ける普遍的なテーマ。なので、いまさら読み返してみたところでさして古びているようにも思えませんでした。

いずれにせよ、読んだ感想としては、不器用な青臭さを懐かしむような、そんな面白さとノスタルジーにあふれたお話でした。

 

2)三島由紀夫はなぜ共感したのか?

本作の芥川賞受賞に際して、キーとなるのは選考委員の三島由紀夫。その彼の激賞によって受賞に至ったような印象があります。では、なぜ三島はこれほどまでにこの作品を推したのか?そのことについて個人的に考えていこうと思います。

本作が受賞したのは69年。

三島由紀夫にとって69年といえば、東大全共闘討論会。今、映画になっているコレの真っ最中ですね。


映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』予告編

60年代の三島由紀夫は思想的に右傾化していたことで知られています。その根底にあるのは、三島自身が太平洋戦争に殉ずることができなかったことへの悔恨から生ずる屈折的な何か、ではないかと眼鏡堂は考えています。映画『からっ風野郎』や『黒蜥蜴』に出演してみたり、怪作『美しい星』が発表されたり、右に寄りつつ迷走していたような印象もありますが。

ともあれ、『憂国』や『英霊の聲』に代表される右寄り作品に傾きつつあった三島が、当時の学生運動に一体何を見ていたのか?多分、そこには若さゆえのエネルギーと純粋さで”革命によるより良い世界”を目指す若者たちに希望や願望を抱いていたのではないでしょうか。そうでなければ、年代だけではなく思想的に趣を異にする全共闘の学生たちに対して自ら討論会に参加し、彼らを理解しようとはしなかったはず。
そういう頃の三島であったからこそ、本作の核である”自分自身が自分らしくあること(自らの精神の自由に対して責任を持つ)”や、そこへと至る困惑に強く共感したのではないかと思います。

そんな風に当時の若者に強い共感を示していた三島ですが、翌年市ヶ谷の自衛隊駐屯地に乱入し、割腹自殺を遂げます。個人的に(乱暴な言い方なのは承知の上で)この事件が三島にとっては幸福なものであったように思います。

なぜならこの事件の2年後に起きたのが、あさま山荘事件

三島が若者に対して抱いていた希望や願いは、その若者たちの手によって完全に破壊されてしまいました。ご存じのように、このあさま山荘事件を決定打として、学生運動は終わりを告げます。

そして、時代は70年代へと突入し「しらけ世代」と呼ばれる若者たちが登場します。

 

3)なぜ読まれれなくなったのか?

読まれなくなった理由は端的に、「しらけ世代」という若者たちの登場が大きな理由といえるような気がします。

この作品の主人公のような不器用なほど真面目な一生懸命さは、その世代にとっては嘲笑すべきものであり、共感してはならないもの。そういう世の中を斜めに見る世代の登場によってまっすぐな主人公はどんどんと居場所を失っていきます。

併せて、『赤頭巾ちゃん気をつけて』に共感した若者たちは、未来永劫、若者であり続けるわけにはいきません。年齢を重ね、成長していく過程において、青年期も青春期も終わりを告げます。いつまでも青春を謳歌しているわけにはいかないのです。良きにつけ悪しきにつけ。

その成長過程の中で手放された本が再び手に取られることは少ないでしょう。まして、新しい若者たちに受け入れられないものであれば、なお。

また、大なり小なり三島由紀夫の存在が多少なりとも影響しているのでは?

本作が三島に激賞されて芥川賞を受賞したその数年後、彼は市ヶ谷の自衛隊駐屯地に乱入し割腹自殺を遂げます。そしてそれから数年後のあさま山荘事件

直接的に学生運動を描いたものではないにせよ、その当時の空気を多少なりともはらんだ作品には強烈な逆風(というより、激動の時代が急速に冷めていった、という表現の方があっているかも)にさらされたのではないでしょうか?

あとは、急速に売れた作品の宿命として、売れなくなった時の反動もまた急速&急激だったのでしょう。あわせて、作者である庄司薫が寡作であったということも。

あとは、時代の空気を反映したものである、というのも普遍的に読まれる作品となるためには厳しいものが。太宰治とかの時代ならまだしも、60年代の末期ともなれば流行が消費されるスピードも段違いだろうし、新たな流行が誕生するスピードも段違い。

上書きよろしく、塗りつぶされてしまうサイクルも相当なものだろうなあ、などと思いました。

 

4)まとめ

正直、こういう青春小説というのは苦手分野。

だからこそ、積ん読切り崩しのために背水の陣を敷いて読んだわけなのですが。

この『赤頭巾ちゃん気をつけて』は思ったよりさっぱり風味で、ユーモアもアイロニーもあり、独特の饒舌な語り口と相まってけっこうすらすらと読めました。

バカバカしくもあり、一生懸命だけどどこかズレているのに不思議と憎めない。

そんな主人公の姿がほほえましく感じられたのは、自分もそれだけ年を取ったのだろうな、と思いました。

急激な時代の変化の中で消費されて忘れ去られてしまった、という感はあるけれど、やはりその時代の最先端を走り抜けた作品には、それだけの価値と理由がある、と感じた次第。まあ、好きか嫌いかでいえば、面白いとは思ったけれどそれでも自分から手を伸ばしたくなる作品ではない、というのが正直なところ。

案外、今の現役高校生とかに読ませてみると、我々とは違った視点でこの物語を解釈してくれるような気がします。なんてったって青春真っただ中の現役選手は我々とは違いますからね。ということで、以上、おわり。

 

 

*1:ちなみに、ウィキペディア大先生によれば、単行本&文庫でもって160万部売れたとか。怖い。超怖い。

*2:三島由紀夫はこれを「若さは一つの困惑なのだ」と表現。