眼鏡堂書店

積み上げられた未読本の消化と、ホラー映画100本ノックを目指すブログ。不定期更新のゆるゆるです。

鮨/岡本かの子

老妓抄 (新潮文庫)

老妓抄 (新潮文庫)

 

※本作が収録されています。

※オンライン読書会で使用しました。

【あらすじ】

東京の坂の多い街に「福ずし」はある。店に来る十人十色の常連のなかで、湊といい「先生」と呼ばれる男がいる。店の娘で客あしらいには慣れている「ともよ」だが、湊のすしを食べるとき妙に気にかかるのであった。母と子の鮨の回想は、細やかな情愛に満ちている。

 

【著者略歴】
大正、昭和期の小説家、歌人、仏教研究家。本名カノ。東京府東京市赤坂区青山南町生まれ。跡見女学校卒業。漫画家岡本一平と結婚し、芸術家岡本太郎を生んだ。小説家として実質的にデビューをしたのは晩年であったが、生前の精力的な執筆活動から、死後多くの遺作が発表された。耽美妖艶の作風を特徴とする。

 

【感想など】

岡本かの子の書いた小説は、わずか10作。略歴の最初に来るのは小説家、という肩書だけれども、歌人や仏教研究科としての側面の方が彼女の人生の中では多くを占めている。実際、小説家として活動したのは晩年のわずか数年間です。

 

にもかかわらずだ、

なにこのエグいくらいの完成度は!

小説家の力量は短編にこそ現れる、という言葉があるけれど、怖い。超怖い。

全く無理のない完璧なまでのストーリー展開。

情景が自然と浮かび上がってくるような、これまた完璧な文章表現。

んでもって、読後の余韻を残す見事な締めくくり。

どんだけの才能だよ!この人!

 

それはともかくとして。

物語の舞台となっているのは、東京の一角。庶民の下町と、インテリやお金持ちの住まう山の手との境にある『福すし』。その店は、様々な常連が今日もこの店ののれんをくぐる。その常連たちがなぜこの店に通うのか?という理由は、作品の中でこのように書かれています。

 後からも前からもぎりぎりに生活の現実に詰め寄られている、その間をぽっと外ずして気分を転換したい。
 一つ一つ我ままがきいて、ちんまりした贅沢ぜいたくができて、そして、ここへ来ている間は、くだらなくばかになれる。好みの程度に自分から裸になれたり、仮装したり出来る。たとえ、そこで、どんな安ちょくなことをしても云っても、誰も軽蔑するものがない。

まあ、このくらいなら舞台が鮨屋でなくてもいいのでは、といううがった見方をしたくなるのですが、作者はこの物語の舞台が鮨屋でなければならない理由を、すぐにこう続けます。

 鮨というものの生む甲斐々々かいがいしいまめやかな雰囲気、そこへ人がいくら耽ふけり込んでも、擾みだれるようなことはない。万事が手軽くこだわりなく行き過ぎて仕舞う。

江戸時代、鮨は今でいうところのファストフードでした。その気軽さから大いに生活の中に溶け込んだのですが、そのように庶民に愛されつつも他の外食、例えばラーメンとかとは違う、ちょっとした高級感というか、ほんの少しだけ非日常をはらんだ食べ物、として今日まで存在し続けています。言っておきますが、ここで言ってる”鮨”とは鮨屋で出される皿が回らない鮨のことであって、回転ずしではありませんので、そこのところお間違えの無いよう。

そんな日常から少しだけでも離れることのできるこの空間を舞台にしたお話なのですが、登場人物は二人。

この福すしの娘である、ともよ。

そして常連客の一人、湊。

このふたりのささやかな交流が描かれるのが本作なのですが、この二人のどちらの視点で物語を俯瞰するかによって、この『鮨』という名作の見方が変わってくるように眼鏡堂には思われました。

なので、その二つの私見をつらつら書いていこうと思います。

 

1)ともよSide 少女の恋のはじまりとおわり

始めに余談なのですが、本作はオムニバス映画の一本として映画化されています。その際のキャストは、ともよが橋本愛ちゃん、湊はリリー・フランキーです。

いいですか?

湊はリリー・フランキーです

(大事なことなので2回言いました)

www.youtube.com

 

それはいいとして。

 

これってともよという年頃の少女の、当人は自覚しない恋のはじまりとおわりの物語だと思うのです。

当初は、少し窮屈な客と思っていただけだった湊に対して、やがて彼女の心境が、

お茶を運んで行ったときから鮨を喰い終るまで、よそばかり眺めていて、一度もその眼を自分の方に振向けないときは、物足りなく思うようになった。そうかといって、どうかして、まともにその眼を振向けられ自分の眼と永く視線を合せていると、自分を支えている力を暈ぼかされて危いような気がした。

 へと変わり、

だからともよは湊がいつまでもよそばかり見ているときは土間の隅の湯沸しの前で、絽ろざしの手をとめて、たとえば、作り咳せきをするとか耳に立つものの音をたてるかして、自分ながらしらずしらず湊の注意を自分に振り向ける所作をした。

かと思うと、  

湊の対応ぶりに有頂天になった相手客が、なお繰り返して湊に盃をさし、湊も釣り込まれて少し笑声さえたて乍らその盃の遣り取りを始め出したと見るときは、ともよはつかつかと寄って行って
「お酒、あんまり呑んじゃ体にいけないって云ってるくせに、もう、よしなさい」
 と湊の手から盃をひったくる。そして湊の代りに相手の客にその盃をつき返して黙って行って仕舞う。それは必しも湊の体をおもう為でなく、妙な嫉妬がともよにそうさせるのであった。

どーすか?皆さん。この見事なまでのツンデレぶり。

完全に、恋愛スイッチがバチコーンとスイッチON!ですよ。

しかも、何がたちが悪いって、ともよ当人に湊を恋愛対象としてみている自覚がないところ。だから、”妙な嫉妬”であるわけで。

 

それから何日か経って、偶然湊とであえって語られる鮨の話が、この小説の白眉。

潔癖で偏食の息子に何とか食事をさせようと、母親が手ずから握ってくれる鮨の話となるのですが、この場面の中にある孤独や憂いのきめの細かさ、その心情の襞を描く腕前は見事というほかありません。まして、書き手が女性ならなおのこと。

この母との思い出話を誰にというでもなくぼんやりと話す湊を、ともよがじっと見ている、という場面がありありと浮かんできます。在りし日のきらきらとした思い出を、秘密の打ち明け話として聞かされることで生まれた心の揺らぎを、作家の林房雄は『鮨屋の娘の形のとらえがたい恋は美しい命へのあこがれである』と評しました。*1

 

ともあれその、”鮨屋の娘の形のとらえがたい恋”は湊が鮨屋にぷっつりと姿を現さなくなったことで終わりを告げます。

ともよは湊と別れるとき、湊がどこのアパートにいるか聞きもらしたのが残念だった。それで、こちらから訪ねても行けず病院の焼跡へ暫く佇たたずんだり、あたりを見廻し乍ら石に腰かけて湊のことを考え時々は眼にうすく涙さえためてまた茫然として店へ帰って来るのであったが、やがてともよのそうした行為も止んで仕舞った。

この心境の変化の記述がホント抜群にうまい。

そして、ここからの、

此頃このごろでは、ともよは湊を思い出す度に
「先生は、何処どこかへ越して、また何処かの鮨屋へ行ってらっしゃるのだろう――鮨屋は何処にでもあるんだもの――」
 と漠然と考えるに過ぎなくなった。

失恋の心の傷が癒えた具合というのもまた見事。

繊細過ぎず、でも強調しすぎず。物語自体はとても小さな話なのに、色鮮やかで印象深い話に編み上げられています。

読後の余韻がチクチクと心を刺激しつつも、爽やかな印象。

1時間もあれば読了できるような短い話なのに。

ホント、岡本かの子怖い。超怖い。

 

2)湊Side 実録!チョイ悪オヤジのナンパテクニック完全分析

始めて読んだときは、「女の子の淡い恋の話だなあ。爽やかで素晴らしいなあ」とおもったのですが、熟読の2回目ともなると印象がガラリとかわるわけです。

そこで重要になってくるのが、映画化された際、湊がリリー・フランキーである、ということです。

湊がリリー・フランキーなのです

(大事なことなので2回言いました)

 

リリーさんといえばチョイ悪オヤジなわけですが、眼鏡堂としてはリリーさんよりも、ルックスでは松尾スズキ、雰囲気や立ち振る舞いは火野正平という具合です。

そのほうがこの湊というオヤジのチョイ悪具合がより一層際立つような気がします。

 

チョイ悪なので、無造作に見えて服装は実に計算されています。大体、右手の中指に銀のスカラベの指輪をしてる人間がチョイ悪でないわけがありません。

服装は赫あかい短靴を埃ほこりまみれにしてホームスパンを着ている時もあれば、少し古びた結城ゆうきで着流しのときもある。

無論、鮨を食べる時も看板娘の視線を向けさせるために、その立ち振る舞いも計算ずく。

サビタのステッキを床にとんとつき、椅子に腰かけてから体を斜に鮨の握り台の方へ傾け、硝子ガラス箱の中に入っている材料を物憂そうに点検する。
「ほう。今日はだいぶ品数があるな」
 と云ってともよの運んで来た茶を受け取る。

(中略)

湊は、茶を飲んだり、鮨を味わったりする間、片手を頬に宛てがうか、そのまま首を下げてステッキの頭に置く両手の上へ顎あごを載せるかして、じっと眺める。眺めるのは開け放してある奥座敷を通して眼に入る裏の谷合の木がくれの沢地か、水を撒まいてある表通りに、向うの塀へいから垂れ下がっている椎しいの葉の茂みかどちらかである。

 完全に、見られていることを意識してのスタイル。さすがチョイ悪です。

しかもこの人、座持ちがうまくて、相手に話すのではなく話させるタイプ。完全に玄人ですよ。

湊はこの店へ来る常連とは分け隔てなく話す。競馬の話、株の話、時局の話、碁、将棋の話、盆栽の話――大体こういう場所の客の間に交される話題に洩れないものだが、湊は、八分は相手に話さして、二分だけ自分が口を開くのだけれども、その寡黙かもくは相手を見下げているのでもなく、つまらないのを我慢しているのでもない。その証拠には、盃の一つもさされると
「いやどうも、僕は身体を壊していて、酒はすっかりとめられているのですが、折角せっかくですから、じゃ、まあ、頂きましょうかな」といって、細いがっしりとしている手を、何度も振って、さも敬意を表するように鮮かに盃を受取り、気持ちよく飲んでまた盃を返す。そして徳利を器用に持上げて酌をしてやる。その挙動の間に、いかにも人なつこく他人の好意に対しては、何倍にかして返さなくては気が済まない性分が現れているので、常連の間で、先生は好い人だということになっていた。

 

んでもって、獲物がこっちに興味を示しつつあるのをわざと気のないふりをしてのこの行動。

ともよは湊のことが、だんだん妙な気がかりになり、却かえって、そしらぬ顔をして黙っていることもある。湊がはいって来ると、つんと済して立って行って仕舞うこともある。湊もそういう素振りをされて、却って明るく薄笑いするときもあるが、全然、ともよの姿の見えぬときは物寂しそうに、いつもより一そう、表通りや裏の谷合の景色を深々と眺める。

悪い、悪いぞ、このオヤジ(笑)

ある日、ともよと偶然会って表通りからそれたところで話をするときは、

湊の方が却って弾はずんでいて
「今日は、ともちゃんが、すっかり大人に見えるね」
 などと機嫌好さように云う。

もうこの段になると、わざと変化球ではない直球を投げるあたり見事なテクニシャンぶりが光ります。

そして前段で、この小説の白眉と眼鏡堂が形容した母との鮨の話になるわけですが、

そこに入るための導入が、

「あなた、お鮨すし、本当にお好きなの」
「さあ」
「じゃ何故来て食べるの」
「好きでないことはないさ、けど、さほど喰べたくない時でも、鮨を喰べるということが僕の慰みになるんだよ」
「なぜ」
 何故、湊が、さほど鮨を喰べたくない時でも鮨を喰べるというその事だけが湊の慰めとなるかを話し出した。

 わざと勿体ぶるところがまさにチョイ悪。そういう視点からこの後の話を読んでいくと、はっきり言えばその実在性の疑わしいこと疑わしいこと(笑)

思い出の細部のリアリティが精密であればあるほど、”実際に存在しない作られた話”という印象が急に浮かび上がってくるような気がします。

大体、本当の自分の身の上話なら、話の結びに、

 今のはなしのうちの子供、それから大きくなって息子と呼んではなしたのは私のことだと湊は長い談話のあとで、ともよに云った。

などとは言わないはず。最初から自分の話だというのが普通だろうけど、そこはホラ、チョイ悪だから。たまたま、ともよだったから大丈夫だったようなものの、鮨屋居酒屋などより、もうちょっと接客の密接さが薄い業種、例えば本屋とか薬局とかの看板娘だったら、最近はやりのテイクアウトされた可能性が十分考えられます。あぶねえあぶねえ。父親以外の年長の異性から「二人だけの秘密だよ(意味深)」的なことをささやかれてゴロンゴロン転がる女子も絶対いるはずなので、世の年頃女子をお持ちの親御さんは厳重な注意が必要です。

 

結論から言えば、このチョイ悪の毒牙にともよはかからなかったわけですが、内心で舌打ちしつつ、真のチョイ悪はそういう気持ちを表に出しません。

 二人は笑いを含んだ顔を見合せた。
「さあ、だいぶ遅くなった。ともちゃん、帰らなくては悪かろう」
 ともよは河鹿の籠を捧げて立ち上った。すると、湊は自分の買った骨の透き通って見える髑髏魚ゴーストフィッシュをも、そのままともよに与えて立ち去った。

さすが酸いも甘いもかみ分けた五十男の手練手管っぷりに、ただただ感嘆するばかり。

岡本かの子先生は、いったいどこでこのような一連のテクニックを観察、または発見なさったのか、大川隆法総裁に守護霊をおよびいただき、一度とっくりとお話してみたいものです。

 

【まとめ】

短編としての完成度、文章表現の巧みさ、何より読後の爽やかかつ甘酸っぱさの残る余韻と、とにかく文句のつけようのない一作。

そのうえ短くてすらりと読める。外出自粛のGW、ぜひぜひ目を通していただきたい名作の中の名作です。

あと、個人的に湊はリリー・フランキーではなく松尾スズキがジャストフィットのような気がしました。以上、おわり。

 

【追記】

並べてみた

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リリー・フランキー

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松尾スズキ

 

*1:嵐山光三郎文人悪食』より