※本作に収録されています。
※青空文庫と全集とを併用しているので、引用表記等に揺れがあります。
※オンライン読書会で使用しました。
【あらすじ】
ドイツ海軍に拿捕されていた男が脱走を図り、当ても無く太平洋を漂流する中で垣間見た「ヒトが覗いては成らぬ禁断の領域」についての詳細を、男の「遺書」という形で記したハワード・フィリップス・ラヴクラフトの手に因る所謂「クトゥルフ神話」の一作。
【著者略歴】
アメリカ合衆国の小説家。怪奇小説・幻想小説の先駆者の一人。生前は無名だったが、死後に広く知られるようになり、一連の小説が「クトゥルフ神話」として体系化された。ラヴクラフトの創造した怪神、異次元の神、神話体系は世に広まり、現代のC.ウィルソンたちや「SF宇宙冒険物」に大きな影響を与えている。
【感想など】
最初から、余談&蛇足を少し。
今回選んだ『ダゴン』は、今年だか去年が発表から約100年。
そのうえ、17年公開の映画版ドラえもんでは、ラヴクラフト作品の『狂気の山脈より』のオマージュ、と、ここ数年ラブクラフト人気が水面下で着々と進行中。
他にも、『這いよれ!ニャル子さん』や『機神咆吼デモンベイン』などの人気作を生み出すなど、世間一般では無名ながらクリエイター界では鉄板ネタの様相を呈しています。
(立体音響)這いよれ!ニャル子さん OP 太陽曰く燃えよカオス
というわけで、このビッグマイナーなラブクラフト作品から、10ページにも満たない短編『ダゴン』を選んでみたわけです。ちなみに、映画版『ダゴン』はダゴンというよりも『インスマウスの影』。百歩譲って『ダゴン』だとしても、フレッド・チャペルの『暗黒神ダゴン』じゃね?と思ったり思わなかったり。
という長々とした余談&蛇足はここまでにして、『ダゴン』の感想とかをつらつらと書いていこうと思います。
さて。
この話のシメにがあまりにも特徴的すぎるがゆえに、最後のトドメとしての恐怖描写を飛び越えて1周回って面白い、というのが正直なところ。
ファン(※ラヴクラフティアン)はもちろん、ニワカも交じってみんな揃って「ああ!窓に!窓に!」とネタにする始末。
ただ、その「ああ!窓に!窓に!」至るまでの構築具合が、ひとつの怪談話としてよくできている。この「ああ!窓に!窓に!」に至るまでの盛り上げ方は、もうテンプレといってもよい感じ。
それが100年位前に完成されたのかと思うと、世界は広いんだか狭いんだか……。
朗読で聞くとそのアラ(ツッコミどころ)は気にならないのですが、文字で読んでるとハタと気づくのです。
かなりのストレスを感じながら、これを書いている。
からの、
終わりは近い。ドアのところで音が聞こえる。何かぬめぬめした巨体が、ドアにぶつかっているような音だ。見つかりはすまい。神よ、あの手が! 窓に! 窓に!
たしかに、このラストに至るまでの臨場感は素晴らしいものがあります。眼鏡堂は初見で完全に物語の世界観に取り込まれていたことを思い出しました。
が。
冷静に考えて、おかしい点があります。
終わりは近い。ドアのところで音が聞こえる。何かぬめぬめした巨体が、ドアにぶつかっているような音だ。見つかりはすまい。神よ、あの手が! 窓に! 窓に!
って書いている間に逃げろよお前(笑)
ちなみに、この回りくどさはラブクラフト作品の一つの特徴というか傾向。
他作品『狂気の山脈より』に至ってはもっと回りくどくて……
- 語り手ウィリアム・ダイアーは南極へ行き、名状しがたい古きもの(Elder Thing)によって創造されたショゴスやミ=ゴなどを発見する
- ダイーアは確信する。南極危険超危険
- 別の分隊が南極に行こうとしている。止めなきゃ!
- ↑止めるために書いた報告書が『狂気の山脈より』
ざっくりまとめたが、非常に回りくどい(笑)
だったら、ダイアーよ。お前が1の時点でリアルタイム実況しろ!
とまあ、そんなことはさておき。
正直なところ、ラヴクラフト自身は今現在の人気とは対照的に、当時は三流パルプ雑誌の作家でしかなく、そのうえ、その三流パルプ雑誌の中ですら看板作家になることすらできない作家でした。誤解を恐れずに、そしてラヴクラフティアンが激怒することを承知で書くと、三流低俗雑誌のゲテモノホラー作家です。
にも拘わらず、こうして絶大な人気を博し続けるのは、彼が創造した『クトゥルー神話』の魅力に他なりません。
が。
ここで、クトゥルー神話とはなにか? などとおっぱじめようものなら、眼鏡堂のSAN値があっという間に完全無欠のゼロになってしまうので、ウィキペディア先生を参考にすればいいじゃない!
そういうわけで、やっとこさピンポイントに本作『ダゴン』の話に入ろうかと思います。
ちなみに、クトゥルー神話の神性(?)を整理すると、こんな感じ。
なので、ラヴクラフティアンには釈迦に説法なのを承知で書くと、モノリスを抱いて嘶くダゴンを見、その声を聴いてもなお、
私はその時に狂ってしまったのだと思う。
くらいで済むのは、もう宝くじの1等を100回連続で引き当てる以上の幸運。本当なら、この場面で主人公の精神は完全に崩壊してもおかしくない、というか崩壊しているだろう。それくらいに旧支配者の存在というのは人間の理性や許容範囲をはるかに逸脱した存在。
ちなみに、それよりさらに上「外なる神」くらいになると、その存在を知覚したその瞬間に人間の精神は耐え切れずに崩壊。目視しようものならその瞬間にアウト。
死ぬ、というよりも、発狂する、という帰結の多いラブクラフト作品ですが、それは彼自身が悪夢にさいなまれやすい人間であったこと、彼の家系がそういった精神病者を抱える家系であったことなどが関係しているとか。
また、登場するキャラクターが海産物&海洋生物をモチーフにしたものが多いのは、彼自身が極端なほど海産物や海洋生物を嫌悪する嗜好の持ち主であったから。
それらの恐怖を克服しようとしたのか、それともその恐怖から逃れるためだったのか、彼はその作家生活の中で一貫して恐怖というものにこだわり続けます。
ただ、他のホラー作家と一線を画すのは、とにかくじわりじわりと忍び寄ってくる恐怖を描き続けたということ。そして『クトゥルー神話』の存在たちが与える恐怖は、物理的恐怖というよりも、人間が生物として本来的に内包している根源的な恐怖です。つまり、自分たちの理解や常識等々がはるかに及ばない絶対的な存在への、生物としての純粋な恐怖。これらを生涯にわたって描いてきました。
日本でいうと、前述の嫌悪するものへの恐怖を作品で克服しようとしたのは、泉鏡花ですが彼の場合はそれはあくまで一時のものであり、生涯にわたってそのテーマに挑み続けたわけではありません。
その点では確かに一貫した作家ではあるのですが、いかんせんラヴクラフトの筆力がそういった高みまで達しているのか?と問われると、眼鏡堂としては答えに窮します。
文学的な価値、という高尚さを取っ払って、単純な読み物としての『ダゴン』はよくできています。これだけの短さの中に見事に詰め込んだ、と言わざるを得ません。
ただそれでも、単純な読み物、という域を出ないのも事実。
ラヴクラフト作品を語る際は、作品単体、というよりも、それら作品がパーツの一つとなって構成される『クトゥルー神話』全体について語られることの方が多い気がします、っていうかそれがほとんどのような気が。
単純な読み物ではあるとはいえ、登場人物の手記という体裁、また、さほど昔の話ではないという時代設定、そして特異な描写……。
個人的に『ダゴン』が好きなのは、ホント、無理はあるんだけど妙に収まりよく物語が編み上げられているところ。あと、妙に熱っぽく、ねちっこいところも時々読みたくなります。これをきっかけに、クトゥルー神話の深淵に足を踏み入れる同胞が増えればいいなと思いました。
……なんか、正直何を書いてんのかさっぱりわからなくなりましたが、この辺で終わりたいと思います。
最後に、シメの言葉を。
ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん
いあ!いあ!くとぅるふ ふたぐん!
以上、おわり。